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2021.06.15|categories: blog

ハニカミ写真館開催のお知らせ

 

□ ハニカミ写真館開催のお知らせ

 

ポートレイト写真のプロジェクト「ハニカミ写真館」を、久しぶりに開催します。

 

デジタルデータではなく、フィルムに残された光と影として写真を残す。
モニターではなく、印画紙に焼き付けられたプリントで自分を見つめなおす。
写真家に撮ってもらう、未来に残すためのポートレイト。
自分と、そして大切な人のために。

 

写真がケータイで撮ってモニターで見るものになってしまった時代だからこそ、撮影の緊張感と銀塩プリントの確かな手触りを大切にしたいと考えて始めたこのちょっとへそまがりな企画も、なんと今年で9年目。
これまでの17回のセッションで、104組のポートレートを撮らせていただきました。

 

なにか愉しそうなことをモチベーションにして人が集うというのはある意味コトバノイエのコンセプトそのもので、そういう意味では、本も写真も同じなんですが、このポートレイトの撮影は、いつもほんとに笑顔がたくさんあって、やるたびにこちらも幸せな気持ちにさせてもらっています。

 

少し前まであたりまえだったのに、今はもうなくなってしまったもの。
そしてなによりも、「じぶんのすがた」をちゃんと写真に撮ったことってあったかなあ、と思ったことがそのきっかけでした。

 

そういうポートレイトを撮ってみたいなあという方がおられたら、FB/instagramメッセージあるいはメール(books@kotobanoie.com)でお問い合わせください。

 

ハニカんでみませんか?

 

++++++++++++++++++++

 

■ ハニカミ写真館 18th Session

 

日時:2021年7月13日(火) / 10:00 – 17:00
場所:Emma Coffee/中西商店ギャラリー / 大阪府豊能郡豊能町余野172-5
料金 : 12,000円(撮影・現像・プリント・台紙・送料込み)

 

一日8組限定となります。

 

ハニカミ写真館
produced by books+kotobanoie
http://kotobanoie.com/hanikamishashinkan

 

 

ハニカミ写真館 Live Report by used-living
http://www.used-living.com/report/hanikamishashinkan/
http://www.used-living.com/report/hanikamishashinkan-2/

 

 

ハニカミ写真館 personnel is
加藤博久/多田ユウコ/蓮池亜紀/玉村ヘビオ

 

Equipment : Hasselblad 500CM / Carl Zeiss Planar T* 80mm/F2.8
Film : Kodak Professional T-MAX400 TMY120 / ILFORD DELTA100 Professional
Paper : ILFORD MG4FB 8X10

 

2020.02.09|categories: blog

where nothing happens

 

 

カリフォルニアにBig Sur と言うところがある。

 

サンフランシスコの南、シリコンバレーから海側に進路をとり、UCSCの街サンタ・クルーズを経て、イーストウッドが市長をしていたCarmelというリゾートの近く、べつに集落があるわけではなく、カリフォルニアの太平洋岸を走るパシフィック・コースト・ハイウェイ(PCH)という、たぶんアメリカでももっとも美しいハイウェイ沿いの、”山々と海が出会うところ (where the mountains meet the sea)”といわれるエリアだ。
ケルアックの「ビック・サー」やブローティガンの「ビッグ・サーの南軍将軍」を引くまでもなく、50年代のビート・ジェネレーションや、60年代のヒッピーの、トポスのひとつでもある。

 

ヘンリー・ミラーは、晩年をそこで過ごした。

 

「ぼくは金がない。資力もない。希望もない。ぼくはこの世でいちばん幸福な人間だ」

 

これは1934年にパリでは発表された処女作、『北回帰線 (Tropic of Cancer )』の冒頭にある言葉だけれど、ヘンリーミラーは、坂口安吾がそうであるように、無頼の人であり、自由の意味をもっともよくわかった文学者のひとりだ。

 

彼は、このビッグ・サーのレッドウッドの森の中で、53歳から71歳までの18年間、彼の言葉を借りれば ” my first real home in America ” として暮し、そして書いた。
代表作といわれる三部作、セクサス・プレクサス・ネクサスの頃である。

 

ヘンリー・ミラーが1980年に亡くなった後、彼が愛したその地に、長年の友人が、その蔵書を置くための場所として自分が昔住んでいた家を移築し、NPOを立ち上げた。

 

” The Henry Miller Memorial Library “

 

Library というその魅力的な語感。
“where nothing happens” ―  何も起こらないところ、というそのコンセプト。

 

ウェブサイトをちょっとのぞいて見てほしい。
https://henrymiller.org/

 

緑の木立に囲まれ、昔からそこにあったような表情で佇んでいる本のある小屋。
芝生の庭で、気持ちよさそうに本を読んだり語らったりする人たちの姿。

 

ろうそくの炎をバックにしたステージ。
そのステージの上に置かれた、ライティング・デスクと古びたタイプライター。

 

コミュニティセンターとして、そしてまたアートスペースとして、コンサートや詩の朗読や演劇、ワークショップやレクチャーも行われ、ときには結婚式やお葬式さえ、そこで催される。

 

なにもかもが、心地良い自然のバイブレーションに包まれた空間。
底流として静かに流れるヒッピーの気配。

 

なによりも素晴らしいのは、すべてがこの場所を好きな人たちの寄付で運営されているということだ。
同じエリアの住民であるAppleやニール・ヤングも、サポーターとしてこのHIPな場所を支えている。

 

ウエブサイトの案内には、こんな風に記されている。

 

It is not a Library where you can borrow books, it is not a memorial with dusty relics, it is not a fully stocked bookstore, it is not a trinket store where you’ll find a large selection of glossy photographs of the coast, t-shirts, mugs and baseball caps. It is not Henry Miller’s old home (that was four miles down the road on Partington Ridge), it is not originally built to be a public place,

ここは、本を借りる図書館でも、埃っぽい遺物のある記念館でも、きちんとしたブックストアでも、Tシャツやマグカップを売る雑貨店でもなく、ヘンリー・ミラーの懐かしの家でもないし、公共の施設として建てられたものでもありません。

 

The best way to find out is to come here, browse, look at what’s on the walls, listen to the music, have a cup of coffee or tea, sit down by the fire, read for a while, do nothing…

この場所がなんなのかを知るためにいちばんいいのは、ここに来て、この場所をゆっくりと見てまわり、壁にかかっているものを眺め、音楽を聴いて、お茶を飲んで、暖炉の傍に座り、少しの間本を読むことです、そして何もしない・・・。

 

Beware, some people find it uncomfortable not to have a clear label and end up turning around almost immediately, others fall in love and leave after composing a poem for our guest book…

気をつけてくださいね、はっきりしたレッテルがないことで不快になってすぐ立ち去る人もいますから、でもそうじゃない人は、この場所と恋に落ちて、ゲストブックに詩を書いてこの場所を離れます。

 

「私たち人間の生活のめまぐるしい有為転変は、永遠にえたいの知れない謎として残る。
人生の断片がたとえ限られた数のものであっても、そのすべてを結びつけ、一つの物語にすることは不可能である。人は、その切れ切れのエピソードにとどまるほかはない。唯一私の興味をそそるものは、実際の生活を包み込む、こうした未知なるものが放つオーラである。私が現実に自分の身に起きた出来事、人間関係、あるいは日常の些細なことを書くのは、こうした暗闇に閉ざされた秘密の領域が、私たちを取り巻いていることを読者に知らせるためである」
( “The World of Sex” by Henry Miller 1940 菅原聖喜訳 )

 

本のこと、音楽のこと、コミュニティのこと、HIPのこと、日々の暮しのこと、そしてafter0311のこと。

 

じつはヘンリー・ミラーの作品をしっかりと読んだことはないし、もちろん行ったことのない場所だけれど、この” The Henry Miller Library “には、ぼくのこれまでと、これからのすべてが凝縮されているような気がしていて、いつかどこかに、こんな場所をつくりたいと、ちょっと真剣に思い始めている。

 

I can grow old with this dream.

 

*

 

再掲:where nothing happens – 2011/04/27

2012.04.16|categories: blog

accept loss forever

cherry.jpg

春宵一刻。

よしなしごとに忙殺され、少なくとも月に一篇はとひそかに決め、これまでなんとか
守ってきた矜持も、あっけなく崩れ去り、けっきょく3月は、霧散。

「忙」と呼ぶにはあまりにものんびりした話だと思うけれど、どうもその一因が、twitter
とかFacebookといったネットワーク・サービスにあるんじゃないかと思いあたった。

そもそも、おそらく中毒と行ってもいいくらい活字を読むということに憑かれていて、
それが嵩じて今のような有り様になっているわけだから、たとえそれが本の体裁を
もっていなくても、モニターの上で展開される、人間の悲喜こもごもの筆跡を盗み見
ることが面白くないわけがない。

もちろん大人としてやらなければならない日々のあれこれは、どうあろうとやらなけ
ればならないわけだから、さらにやりたいことがそこに加われば、一日が24時間で
あることに抗いようもなく、自ず睡眠という無為に思える(それは決してそうではない
のだが)時間や、やりたいけれどやらなくてもいいことを、マゾヒスティックに削って
いくしかない。

これじゃあ、ゲームに時間を取られて机に向かわない子供と同じじゃないかと思うと、
60もそれほど遠くない我が身の拙さにあきれるばかり。

いずれにしても、愉悦的ななしくずしではなく、そろそろちゃんとしたattitudeを定める
時期なのかもしれないなんて思ったりもする。

そんなSNSも、じつは去年の震災の時期から比べると様相が一変していて、そのとき
にはひとつの大きな情報のソースになり、ソシアル・ネットワークの主役になるかと思
われたtwitterが少し翳りをみせ、ブーム的に到来したFacebookの優位性が(パーマ
ネントなものになるかどうかはよくわからないが)、このところ際立ってきているようだ。

その理由はいくつかあると思うけれど、人の心をいちばんつかんでいるのは、twitter
にはない、「いいね!」という意思表明がワンクリックでできて、その数が表示される
機能じゃないかと思う。

Facebookがマニュアルで言っているように、それが双方向のコミュニケーションである
かどうかは疑問だが、この「いいね!が、個人レベルでは投稿のひとつのモチベーショ
ンになっているようだし、ビジネスシーンでは、ダイレクトマーケティングに直結するこの
システムを、いかに利用するかということがひとつのテーマになっていて、広告代理店
がやっきになって、その獲得方法をアピールしている。

「tweet」を「つぶやき」とした訳語も絶妙だったと思うけれど、「Like」という英語を、ふだ
んめったに使うことのない(特に関西ではそうだろう)「いいね!」というシンボリックな言
葉(そして原語にはなかった「!」も含めて)で表現したその手腕は、ある種の凄みさえ
感じさせる。

おそらくこのサービスを日本で展開するときにもっとも考え抜かれたのは、これだったん
じゃないだろうかと思えるくらい見事な翻案で、今となっては、それ以外に、あのちょっと
した共感を示す表現はあり得ないと思えるくらいだ。

そんな「いいね!」の海を泳いでいるうちに、ちょっと面白い記事に行き当たった。

あの「The Henry Miller Memorial Library」のfacebookページからである。

少し前に “Henry Miller’s 11 commandments on writing (書くことのための11の戒律) ”
という記事が掲載されていて、それはそれでとても興味深いものだったけれど、今回の
それは、ケルアックが遺した” Belief and Technique for Modern Prose(現代散文のた
めの心構えとテクニック) ” という30のリストだった。

面白そうな文章だったので、拙いながら訳してみた。

<現代散文のための心構えとテクニック by Jack Kerouac>

1. 書き散らされた秘密のノート、乱雑にタイプで打ったページ、自分の愉しみとして。
Scribbled secret notebooks, and wild typewritten pages, for yr own joy

2. あらゆることに素直であれ、心を開き、耳を傾けよ。
Submissive to everything, open, listening

3. 自分の家以外では酔っぱらわないように。
Try never get drunk outside yr own house

4. 人生に恋しよう。
Be in love with yr life

5. 感じていることは、いずれカタチを見いだす。
Something that you feel will find its own form

6. クレイジーであれ、愚かな聖者の心で。
Be crazy dumbsaint of the mind

7. 吹きたいだけ深く吹け。
Blow as deep as you want to blow

8. 心の底から底抜けに書きたいものだけを書け。
Write what you want bottomless from bottom of the mind

9. 話すことでは表現できないひとつひとつのヴィジョン。
The unspeakable visions of the individual

10. 正鵠を得れば、詩の出る幕はない。
No time for poetry but exactly what is

11. 胸の奥で震えている幻想的な痙攣。
Visionary tics shivering in the chest

12. 眼の前にあるの物体に覆いかぶさる催眠的な偏執夢。
In tranced fixation dreaming upon object before you

13. 文学的、文法的、構文的なんてものを追っ払え。
Remove literary, grammatical and syntactical inhibition

14. プルーストのように、時の古茶頭であれ。
Like Proust be an old teahead of time

15. 内なるつぶやきで世界の実話を語ること。
Telling the true story of the world in interior monolog

16. とびきり面白い宝石は、眼のなかの眼にある。
The jewel center of interest is the eye within the eye

17. 自分自身の記憶と驚きで書くべし。
Write in recollection and amazement for yourself

18. 言葉の海で泳ぎながら、力強い真ん中の眼で練り上げろ。
Work from pithy middle eye out, swimming in language sea

19. 失うことを永遠に受け入れよ。
Accept loss forever

20. いのちの清らかなる輪郭を信じるべし
Believe in the holy contour of life。

21. 心にある無垢な流れをスケッチするためにもがけ。
Struggle to sketch the flow that already exists intact in mind

22. 止まっている時は言葉のことを考えず、その像をただ見つめなさい。
Dont think of words when you stop but to see picture better

23. 朝に日付を刻みながら毎日を送れ。
Keep track of every day the date emblazoned in yr morning

24. 自分の経験や言葉や知識の気高さを、怖がったり恥ずかしがったりすることはない。
No fear or shame in the dignity of yr experience, language & knowledge

25. 克明に描いたものを、世界に見せ、読ませるために書くんだ。
Write for the world to read and see yr exact pictures of it

26. “ブックムービー” は言葉の映画、目に見えるアメリカの形。
Bookmovie is the movie in words, the visual American form

27. 寒々として非人間的な孤独の中の個性を賞賛し。
In praise of Character in the Bleak inhuman Loneliness

28. 野性的に、野放図に、純粋に、下からくるもので創作すること、狂っていればなお良し。
Composing wild, indisciplined, pure, coming in from under, crazier the better

29. きみはいついかなるときにも天才だ。
You’re a Genius all the time

30. 天の加護と援助を受けたこの世の映画の脚本家であり監督。
Writer-Director of Earthly movies Sponsored & Angeled in Heaven

その記事によると、このリストは、あの『Howl』が書かれる1年前に、サンフランシスコ
のノースビーチのアレン・ギンズバーグのホテルの部屋の壁にピンナップされていた
ものだという都市伝説があるそうで、ケルアックの「On The Road」とならんで、ビート
ジェネレーションのアイコンとされている詩集『叫ぶ』が、このリストに触発されたのか
もしれないと想像するだけでも、それは充分にスリリングな話じゃないかと思う。

もともと『Howl』というタイトルそのものもケルアックのアイデアのようで、「その詩集に
はケルアックへの献辞があるくらいだから、もしその伝説がほんとうにそうだったとし
てもぜんぜん驚きではない」と、この記事には記されている。

そして、この紹介文は、「チャールズ・イームズが言うように、” 実際のところ、人は先
に亡くなった人たちの影響を常に認めなければなりません(to be realistic one must
always admit the influence of those who have gone before)” 」と、結ばれている。

例によってケルアックのフリージャズのような英語は、シンプルなのに難解で、ホント
にその意をちゃんと汲めたのかどうかさえわからないが、ただわからないなりに、口に
出して何回も読み上げていると、なんとなくリズムがでてきて、わかったような気にな
ってくるから不思議なものだ。

言霊っていうヤツかもしれない。

ただ言葉というのは、その時代、その場所で変化していくものだから、たとえば “dignity”
という単語を、尊厳と訳すべきなのか、価値と訳すべきなのかなのか、あるいはひょっと
したらもっといい言葉があるんじゃないかとか、言葉の意味はわかっても、微妙なニュア
ンスをリアルに感じとれないのがちょっと残念。

ケルアックは本質的には、小説家ではなく詩人ではないかというのが、ぼくの見立てだが、
彼のこの30の散文指南も、こうやって眺めていると、すでに一篇の詩のようだ。

あるいは俳句。

 

http://kotobanoie.com/
graf shop / the nature library – animals

 

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2012.02.25|categories: blog

where design comes from

glass2.JPG

そのフロアの奥の、白いペンキで塗られた10cmほどの水道管に、 plants, animals,
ocean, space, earth という五つのテーマを極太の鉛筆で書き終えたとき、それを
見ていた服部さんから、サインもしといてくださいよ、という声がかかり、本棚の左の
壁に kotobanoie と、書き添えた。

ああ、 the natural library というタイトルを書いたほうがよかったなと気がついたのは、
翌朝の布団の中で、そういえばこのライブラリーのアイデアが浮かんだのも起きぬけ
だったなあと、ふと思いだした。

” the natural library “

graf shop で始まった新しいプロジェクト。

それはpop up なイベントではなく、「まちのえんがわ」と同じように、本というメディアで、
なにかひとつの世界を切りとれないかという、ある意味パーマネントな試みである。

少しタイトルが大きすぎるような気がしないでもないが、自然にまつわる本が集まって
いるからストレートに nature 、 library は、あの”The Henry Miller library ” の library。

もちろん本にはすべてプライスタグがつけてある。

コンテンツだけじゃなく、立体としても素敵だと思えるような本を集めて、
その場で読むもよし、その本を連れて帰りたくなったらそれもよし、というスタイルだ。

「自然(nature)」というテーマにも、ストーリーがある。

「本をやってみたいと思うんですけど」
と、小松くんがきりだしたのは、10月の「木村家本舗」のある日だった。

「たとえばバウハウスとか柳宗悦の民藝とか、ぼくたちが造るプロダクツの底に
流れているデザインの潮流がわかるような」

そういう本を、graf の ブックシェルフに並べて、販売もしたいというオファーである。

そのときはとっさに、

「そのもうひとつ手前の、それらのデザインが『拠って来たるところ』っていう感じの
ほうが面白いような気がするけど」

と返してはみたものの、その『拠って来たるところ』というのがなんなのか、じつは
そのときにはまったく視えていなかった。

ただなんとなく、そんな言葉がでてしまったのだ。

拠って来たるところ - そのわかったようなわからないような言葉の底になにが眠って
いるのか、まるでわからないまままに時間が過ぎて、「自然(nature)」というキーワード
が見つかったのは、その話から何日もあとのこと、そういうものがいつもそうであるように、
予兆もなく、突然舞い降りてきた。ある天気のよい日曜の朝、起き抜けのベッドの上に。

花や鳥や雲や海や月。

よく考えてみれば、当たり前といえば当たり前のことで、ひらめきというには恥ずかしい
レベルのことだけれど、すべてのデザイン(アートもかな)の根源、「拠って来るところ」
って、そういう自然の造形や、眼に見えない自然の力なんじゃないかと思い浮かんだのだ。

キーワードが見つかると、あとは早い。

具体的には、「花」なら花の画集や写真集だけでなく、たとえば花札や「花の色はうつりに
けりな」の西行のことや、フラワームーブメントに関わる本などを展示販売すること。

できれば、漢字一文字でテーマ決めて、1年間のストーリーをつくる。

タイトルは 「nature : where design comes from」

そしてそれは、なんとなくgraf的な感じもする。

きっとその前の日のトークショーで服部さんが言っていた「ピュアなものを見つけ出す」という
話が、どこか頭の片隅に残ってたのかもしれないと、今になって思ったり。

その後 graf のスタッフたちと、何回かのセッションを繰り返してたどりついたのが、この
” the nature library ” というカタチだが、最初にセレクトした107冊のブックリストを眺めて
いると、文字どおり最初のアイデアをけっこうピュアなカタチで表現できたのではないかと、
ちょっとだけ悦に入った。

イツオくんとふたりで、こんなコピーをつくった。

未だ知ることのない
自然からの語りかけに心を澄まし
想像の先にある発見と出会う

the nature library

植物、動物、海、宇宙、そして地球
五つのテーマを手がかりにめぐる、森羅万象への旅

本を片手に

第一弾のテーマは ” plants ”

花や葉っぱのフォルム、素材としての木や恵みとしての果実、アールヌーボーや
リバティプリント、光琳の描く花や伝統的な花のしつらい、植物による造形そして
哲学としての庭。

植物は、あらゆるデザインやクリエイションの、まさにひとつの源泉である。

物語は、このあと animals → ocean と続く。

ふりかえれば、本を売らない本屋のことを妄想したのは、いまから5年前、この
” books+kotobanoie ” というブックショップを始めた直後のことだった。

そのころ、” unexpectedly a serious ” というタイトルのブログで、こんな風に書いている。
「ブック・コーディネーター」なんていう人が現れる少し前の話だ。

本のセレクションというサービスができないかと思う。Amazonのセレクション・ソフトは、
情報の集積がベースだけれど、このソフトをもう少し繊細なものにして、人と人との
インターフェイスの中からでてくる直感的なセレクションを提供する。
司書的なものでもキュレーター的なものでも、まして書店でもなく、いわば「本の Stylist」
とでもいったようなものだ。

そこに書かれている内容だけじゃなく、ブックデザインや組合わせも含めたセレクションで、
そこに在ること自体がそのスペースやそのショップやその人の表現となるような本棚を
デザインすること。

たとえば素敵なライブラリーのあるリゾートホテル、週刊誌や新聞だけじゃない歯医者さん、
美しい装丁の写真集が並んでいるブティック、エバーグリーンな随筆の置いてある輸入車
ディーラー、付加価値や差別化がマーケティングのキーワードとなっている時代に、本という
ものが(単にディスプレイとしてだけじゃなく)、そのひとつのマティリアルになることがあった
っていいんじゃないだろうか。

professional of book selection ― 。

Yさんじゃないけれど、案外真面目に、本を売らない本屋を妄想している。

その妄想がこんな風に少しずつカタチになっていく。

望外とは、このことじゃないかと思う。

本棚の爆弾。

http://kotobanoie.com/
graf shop / the nature library

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2012.01.04|categories: blog

greening 2012

greening3.JPG

 

明けましておめでとうございます。

 

2011年は、ほんとうにたくさんの人たちとお会いし、人と人のつながりの不思議さを、いつもよりも強く感じさせられた年でした。

 

そのひとりひとりの人たちに、感謝の気持ちをこめて、新年のご挨拶を。

 

“TheGreening of America(邦題:緑色革命)” という1970年に発刊された一冊の本があって、若いころのぼくは、その本、というかその本に描かれていたアメリカ西海岸のカウンターカルチャーなるものに、ずいぶん惹かれていました。

 

60年代に起こった新しい意識の動き。

 

それは、それまでの社会と人間との関係に疑問をいだき、自分自身、他人、社会、自然、国土などにたいする新しい関係を創造しようというものでした。

 

社会のメインフレーム依存しない自立した生きかた。

 

“greening”というのは、そのころ芽生えたそういう新しい価値観をもった世代のことであり、そういう変革の現象にたいして著者である、チャールズ・ライクが名づけた言葉です。

 

結果的には、この若者のムーブメントは、大人たちの体制や商業主義を突き崩すことはできなかったわけですが、たとえば今もてはやされているエコロジーやオーガニックや、サスティナビリティなんていう環境にまつわるさまざまなこと、そして人種やジェンダーや、性的嗜好による偏見のない自由な選挙や、いわゆる無党派といった現代社会の良質な概念のほとんどのものが、この時代の若者たちの思想の上澄みにしかすぎないように、ぼくには映っています。

 

そして昨今しきりに議論されるコミュニティのデザイン、ひょっとしたらこのインターネットだって、このムーブメントがなければ何年も遅れていたのかもしれないとさえ思います。

 

去年亡くなったスティーブ・ジョブズは、ぼくと年が同じで、しかもこの「騒乱」の中心地だったサンフランシスコのベイエリアの人ですから、たぶんもっと強烈に、この意識の影響を受けていた人だったはずで、彼の指向した「パーソナル・コンピュータ」の概念そのものが、「新しい意識をもった新しいコミュニティ」への道しるべであろうとした” Whole Earth Catalog ” の、「access to tools」というコンセプトの今日的表現だと考えれば、彼がその本から引用した ” stay hungry, stay foolish “という言葉の意味が、より鮮明に見えてきます。

 

「三つ子の魂百まで」ではないですが、昨年の東北大震災や原発の事故を契機として、成長や拡大じゃない共生(share + re-size)ということを模索する中で、もういちどこの自分にとっての原点に還ることも悪くないんじゃないか、というのが、”greening”という言葉にこめたメッセージです。

 

ぼくにとっての greening は、種を蒔くことです。

 

本にできること、本にはできないことを考えたとき、意識の種を読んだ人の心に蒔くということが本の役割であり、その本の編集を生業とするものの仕事ではないのかと思います。

 

その種が、あなたの土壌に合えば、それはやがて芽をだします。
芽がでたら、しっかりと水をやってください。
毎日うまく水をやることができれば、やがて花が咲きます。

 

きれいな花が咲けば、あなた自身がきれいだと発信しなくても、それを見た人が、あそこに
きれいな花が咲いていたよと、つぶやいたり、写真を撮って帰ったり。

 

そんなことを、初夢で妄想しました。

 

For what it worth.

 

年始の挨拶なので、もう少しシンプルに書きたいと思っていたのですが、気がつくと、いつものように、だらだらとしたものになってしまいました。

 

まあ、正月ということで、お赦しください。

 

今年もよろしく。

 

BOOKS+コトバノイエ

 

店主敬白

 

 

 

 

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