2012.02.25
where design comes from
そのフロアの奥の、白いペンキで塗られた10cmほどの水道管に、 plants, animals,
ocean, space, earth という五つのテーマを極太の鉛筆で書き終えたとき、それを
見ていた服部さんから、サインもしといてくださいよ、という声がかかり、本棚の左の
壁に kotobanoie と、書き添えた。
ああ、 the natural library というタイトルを書いたほうがよかったなと気がついたのは、
翌朝の布団の中で、そういえばこのライブラリーのアイデアが浮かんだのも起きぬけ
だったなあと、ふと思いだした。
” the natural library “
graf shop で始まった新しいプロジェクト。
それはpop up なイベントではなく、「まちのえんがわ」と同じように、本というメディアで、
なにかひとつの世界を切りとれないかという、ある意味パーマネントな試みである。
少しタイトルが大きすぎるような気がしないでもないが、自然にまつわる本が集まって
いるからストレートに nature 、 library は、あの”The Henry Miller library ” の library。
もちろん本にはすべてプライスタグがつけてある。
コンテンツだけじゃなく、立体としても素敵だと思えるような本を集めて、
その場で読むもよし、その本を連れて帰りたくなったらそれもよし、というスタイルだ。
「自然(nature)」というテーマにも、ストーリーがある。
「本をやってみたいと思うんですけど」
と、小松くんがきりだしたのは、10月の「木村家本舗」のある日だった。
「たとえばバウハウスとか柳宗悦の民藝とか、ぼくたちが造るプロダクツの底に
流れているデザインの潮流がわかるような」
そういう本を、graf の ブックシェルフに並べて、販売もしたいというオファーである。
そのときはとっさに、
「そのもうひとつ手前の、それらのデザインが『拠って来たるところ』っていう感じの
ほうが面白いような気がするけど」
と返してはみたものの、その『拠って来たるところ』というのがなんなのか、じつは
そのときにはまったく視えていなかった。
ただなんとなく、そんな言葉がでてしまったのだ。
拠って来たるところ - そのわかったようなわからないような言葉の底になにが眠って
いるのか、まるでわからないまままに時間が過ぎて、「自然(nature)」というキーワード
が見つかったのは、その話から何日もあとのこと、そういうものがいつもそうであるように、
予兆もなく、突然舞い降りてきた。ある天気のよい日曜の朝、起き抜けのベッドの上に。
花や鳥や雲や海や月。
よく考えてみれば、当たり前といえば当たり前のことで、ひらめきというには恥ずかしい
レベルのことだけれど、すべてのデザイン(アートもかな)の根源、「拠って来るところ」
って、そういう自然の造形や、眼に見えない自然の力なんじゃないかと思い浮かんだのだ。
キーワードが見つかると、あとは早い。
具体的には、「花」なら花の画集や写真集だけでなく、たとえば花札や「花の色はうつりに
けりな」の西行のことや、フラワームーブメントに関わる本などを展示販売すること。
できれば、漢字一文字でテーマ決めて、1年間のストーリーをつくる。
タイトルは 「nature : where design comes from」
そしてそれは、なんとなくgraf的な感じもする。
きっとその前の日のトークショーで服部さんが言っていた「ピュアなものを見つけ出す」という
話が、どこか頭の片隅に残ってたのかもしれないと、今になって思ったり。
その後 graf のスタッフたちと、何回かのセッションを繰り返してたどりついたのが、この
” the nature library ” というカタチだが、最初にセレクトした107冊のブックリストを眺めて
いると、文字どおり最初のアイデアをけっこうピュアなカタチで表現できたのではないかと、
ちょっとだけ悦に入った。
イツオくんとふたりで、こんなコピーをつくった。
未だ知ることのない
自然からの語りかけに心を澄まし
想像の先にある発見と出会うthe nature library
植物、動物、海、宇宙、そして地球
五つのテーマを手がかりにめぐる、森羅万象への旅本を片手に
第一弾のテーマは ” plants ”
花や葉っぱのフォルム、素材としての木や恵みとしての果実、アールヌーボーや
リバティプリント、光琳の描く花や伝統的な花のしつらい、植物による造形そして
哲学としての庭。
植物は、あらゆるデザインやクリエイションの、まさにひとつの源泉である。
物語は、このあと animals → ocean と続く。
ふりかえれば、本を売らない本屋のことを妄想したのは、いまから5年前、この
” books+kotobanoie ” というブックショップを始めた直後のことだった。
そのころ、” unexpectedly a serious ” というタイトルのブログで、こんな風に書いている。
「ブック・コーディネーター」なんていう人が現れる少し前の話だ。
本のセレクションというサービスができないかと思う。Amazonのセレクション・ソフトは、
情報の集積がベースだけれど、このソフトをもう少し繊細なものにして、人と人との
インターフェイスの中からでてくる直感的なセレクションを提供する。
司書的なものでもキュレーター的なものでも、まして書店でもなく、いわば「本の Stylist」
とでもいったようなものだ。そこに書かれている内容だけじゃなく、ブックデザインや組合わせも含めたセレクションで、
そこに在ること自体がそのスペースやそのショップやその人の表現となるような本棚を
デザインすること。たとえば素敵なライブラリーのあるリゾートホテル、週刊誌や新聞だけじゃない歯医者さん、
美しい装丁の写真集が並んでいるブティック、エバーグリーンな随筆の置いてある輸入車
ディーラー、付加価値や差別化がマーケティングのキーワードとなっている時代に、本という
ものが(単にディスプレイとしてだけじゃなく)、そのひとつのマティリアルになることがあった
っていいんじゃないだろうか。professional of book selection ― 。
Yさんじゃないけれど、案外真面目に、本を売らない本屋を妄想している。
その妄想がこんな風に少しずつカタチになっていく。
望外とは、このことじゃないかと思う。
本棚の爆弾。