ピカソとマティスとクレーの絵のなかから好きなものをあげるといわれたら、ぼくなら迷わず
マティスの切り絵 “Jazz” を選ぶけれど、ひょっとしたら、クレーという人がいちばん多いん
じゃないか、という気がしないでもない。
明るくて優しい色彩、一見わかりやすいモチーフ、線を基調とするユーモラスなタッチ。
クレーがアブストラクトの画家として、格別の人気があるのはよく理解できる。
冬とも春ともいえない肌寒いある日、京都でたくさんのパウル・クレーを観た。
□ パウル・クレー展 ― おわらないアトリエ 京都国立近代美術館 2011/03/12 – 5/15
国立近代美術館での開催は初めてということで、モチーフや制作年代といったカタログ的な
ものではなく、手法 = 制作過程に焦点をあてるという、少しひねった切り口で構成されていて、
東京展(5/31 – 7/31)のキュレーターによれば、展示プランにも建築家を導入したということだ。
構成は、6つの章からなる。
1 現在/進行形 ― アトリエの中の作品たち
2 写して/塗って/写して ― 油彩転写の作品
3 切って/回して/貼って ― 切断・再構成の作品
4 切って/分けて/貼って ― 切断・分離の作品
5 おもて/うら/おもて ― 両面の作品
6 過去/進行形 ― ”特別クラス”の作品たち
個人的には、この凝ったスタイルではなく、もう少しシンプルな展示で見たかったというのが
正直なところだが、まあでも美術館で絵を観るのはいいもんだ。
石とガラスのシンメトリーな外観、広大な吹き抜け空間を持つロビー、構成主義的な大階段。
1986年に槇文彦さんが設計した美術館の、疎水に面した心地いいオープンテラスでコーヒー
を飲みながら、さっきまで観ていた、たくさんのクレーをふりかえる。
パウル・クレーは、ぼくの中では長い間、画家ではなくバウハウスの人だった。
画家としてのクレーに目覚めたのは、恥ずかしながら、つい最近のことで、調べてみれば、
2-3年に一回は展覧会が開催されているようだけれど、じつは、意識してこの人の展覧会を
観るのはまったく初めての体験だったのだ。
「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることである」
Art does not reproduce the visible; rather it makes visible.
クレーの造形は、”アーティキュレーション(分節)” なんだというSeigowさんの話は、ちょっと
難しすぎてあまりよくわからないけれど、作品を眺めていると、彼の作品、その抽象性の質
が音楽にとても近いということはよくわかる。
コンポジション、そこに流れるメロディ、そしてなによりもそのリズム感。
様々な手法で描かれた彼の絵を、音楽のようなものと理解すれば、とてもナチュラルにその
魅力を感じとれるようになる。 たとえばアルバムに収められた一曲一曲のように。
そして音楽的な要素以上に心に響くのは、光=色だ。
1914年のチュニジアへの旅で、色彩に目覚めたというクレー。
色彩が私を捉えたのだ。もう手を伸ばして色彩を追い求めることはない。
色彩は私を永遠に捉えた。私にはそれがわかる。
「見ようと思っても見えないが見えるようにすることができるもの」とは、海がないスイスという
国で生まれたアーティストが見た、北アフリカの鮮烈な太陽の光や、その陽光とともに刻々と
変化する地中海の色、そしてエキゾティックに奏でられるアラブの音楽の音色ではなかったか。
クレーの天使に捧げた、谷川俊太郎さんの詩をひとつ。
希望に満ちた天使
のはらにもうみべにも
まちかどにもへやのなかにも
すきなものがあって
でもしぬほどすきなものは
どこもなくて
よるをてんしとねむった
やまにだかれたかった
そらにとけたかった
すなにすいこまれたかった
ひとのかたちをすてて
はだかのいのちのながれにそって
(クレーの天使/谷川俊太郎/講談社/20001012)
「この世では、ついに私は理解されない。
なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、死者のもとに、私はいるのだから。
創造の魂に普通よりも近付いているからだ。だが、それほど近付いたわけでもあるまい。」
( Paul Klee 1879-1940 墓碑銘 )
それにしても、1920-30年代の芸術シーンは、どうしてこうも豊かなんだろう。
社会学的な現象として、だれか研究している人はいないんだろうか。
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