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2010.12.20

sweet little seventies

redleaf2010.JPG

そんなに忙しい日々を送っているわけじゃないけれど、雑事から解放される休日というのは、じつはそれほど多くない。

 

久しぶりに、そんな日があった。

 

録り貯めるだけだった映画を観たり、猫と一緒にウタタ寝したり。

 

ブックリストのアップデートも遅れてるし、クリスマスのことだってもうあんまり時間がないことはわかっているけれど、そんなちょっとヒリヒリしたうしろめたさを感じながら、外が明るい時間帯にこうやって自堕落にすごすのは、甘美な誘惑に翻弄されているようで、すこぶる心地良い。

 

でも、悲しいことに、冬の陽はあっという間に落ちる。

 

日が暮れてしまえばあとは同じ、夜半を過ぎれば眼が醒えてくる。

 

過日、中之島の東洋陶磁美術館で「ルーシー・リー展」を観た。

 

1995年の没後、初めての本格的な回顧展ということで、ルーシー・リーのこれだけの数の作品を一挙に見られるのは至福としか言いようがないが、彼女のやきものを見れば見るほど、ガラスの向こうで眺めることにちょっとしたストレスを感じてしまう。

 

ルーシー・リーの器に、美術館は似合わない。

 

協働したハンス・コパーの抽象性は明らかにアートだけれど、彼女のやきものはそうじゃない。彼女が指導を仰いだバーナード・リーチは民藝作家と呼ばれるけれど、彼女はそうじゃない。

 

― craft art.

 

テーブルの上に置いて花を活け、果物を盛ることで、その空間をいっそう輝かせるもの。
使ってこそ価値がある美しい handmade の器。

 

もちろんその器が、オブジェとしても際立って美しいからこそ、価値あるものとしてこうやって美術館で見ることができるわけだけれど、日常で使うことをためらうほどに高価なアートピースになってしまったことは、おそらく彼女の本意ではないはずだ。

 

凛とした柔らかなフォルムとニュアンスに富んだ釉薬のテクスチュア、路傍にころがる石のようなルーシー・リィーの器には、人の心にあたたかさやなつかしさを呼び起こす力がある。

 

焼きものは、最後のところで「炎」という人智のおよばないものに身を委ねなければ成り立たないものだから、こうやってその飾りのないナチュラルな美しさを見せつけられてしまうと、いっそう見えざるものの存在を感じずにおれない。

 

会場で放映されていたリチャード・アッテンボローによるインタビューのフィルムには、彼女が轆轤を挽く姿や、掻き落としを施すところなどが残されていて、興味深い。

 

88歳で亡くなるまで魅力ある作品を造り続けたルーシー・リーだが、ひときわ優れているのは、何ものにもとらわれない自由な心や人としての包容力が、その造形に映されている70代の頃(=1970年代)の作品だと思う。

 

なによりも、可愛いおばあちゃんの小さな手で丹念に造られているっていうことが so cute だ。

 

そしてまた別の日、やはり素敵なおじいちゃんとおばあちゃんの映画。

 

” Herb and Dorothy “

 

もうすでに、インターネット上では賞讃しかないのがちょっとおかしいんじゃないかと思うくらいの評判をとっている、N.Y.で暮らす、ある意味狂気ともいえるアートコレクターの老カップルのアート蒐集の日々を描いたドキュメンタリー・フィルムである。

 

private collector というのは魅力的な称号である。
若冲を熱狂的に買い集めるジョー・プライスや、ルノワールを始めとする印象派の至宝を擁するフィラデルフィアのバーンズ・コレクションといったよく知られたコレクションを例えるまでもなく、コレクターというのは、つまるところ「モノ狂い」の別称なのだ。

 

合言葉は、” to be discoverd ”
発見されるべき作品があれば、彼らは月にだって行く。
そして、月にいけるだけの財があるからこそ、コレクターという称号が与えられている。

 

この夫婦が素晴らしいのは、彼らがプライスやDr.バーンズのような富豪ではなく、郵便局員として、あるいは図書館司書として普通の生活をしながら、嬉々としてプライベートを惜しみなくコンセプチュアル・アートやミニマル・アートの作品のコレクションに捧げるところだ。

 

” It’s just beautiful. That’s it.”

 

アーティストと交流し、身の丈にあった範囲で、作品を蒐集する。
そして、いちど手に入れたものは絶対に売らない。
気に入った作家は、そのコレクションをどんどん深化させる。

 

ふたりの審美眼の根底にあるのは、考えてみればあたりまえのことなんだけれど、自分の眼を信じるということ、そして、買えるものしか買わないという、シンプルな attitude だ(実は、もうひとつ、ワンベッドルームのアパートに収まることという条件があるんだけれど、その理由は映画の中で、ドロシーからユーモラスに語られる)。

 

その可愛らしさ。
Dorothy は Herb より、少し背が高いんだ。

 

そして、彼らがとても優しく見えるのは、彼らを撮る視線が優しいからだ。

 

エンドロール、mac bookを買おうとして、店の人と話をするドロシーの傍らで、ソファにちょこんと座ったハーブが、ぼんやりと水槽を眺めるシーンで、すこし涙がこぼれた。

 

こんな唄が頭の中を流れていたのだ。

 

ダーティー・ハリーが唱うのは 石の背中の重たさだ
片目をつぶったまま年老いた いつかの素敵な与太者の唄
その昔君にも生きるだけで精一杯のときがあったはず
あげるものももらうものもまるでないまま
自分のためだけに生きようとした

 

歌う僕は汚れた歯ぐきルーム・クーラーの湿った風をかじっている
夕べあの娘は最後の汽車で 南の町へ行ってしまった
夢はなかったけれど 時には泣きたいほど優しかったよ
僕は夜のスカートに首を絞められ
塩っ辛い涙流してる

 

どうして君は行ってしまうんだい
どうして僕はさよならって言うんだい
どうして僕は行ってしまうんだい
どうして君はさよならっていうんだい
こうしてにんじんみたいに手足を生やしてると
まるで何もかも悲しいみたいだよ

 

そうしてみんな昔懐かしい
おじいさんになってしまうのかな
そのうちみんな昔懐かしい
おじいさんになってしまうのかね

 

とても heart warming な映画なのに、どうして涙がでるんだろうと思って横を見たら、隣の席で家人も泣いていた。

 

時代の空気を敏感に感じとった佳作。
これが初めての映画だという佐々木芽生監督は、この素晴らしい処女作を、終生追い続ける
ことになるかもしれない。

 

New York City で暮らしてみたい。

 

それにしても、

 

70歳、ジョン・レノンと同じ年に生まれた Dr.John が、10月に見せてくれた圧倒的なステージ。
貫禄充分に髑髏のついたステッキを杖いて、ステージを去ってゆく姿が眼に焼き付いている。

 

そして、そのジョン・レノンより7歳上のオノ・ヨーコが発信する、平和や愛への鮮烈なメッセージ。
考えてみれば、60年代のFLUXUSのメンバーなんだから、筋金入りである。

 

前衛芸術といえば、元ネオ・ダダのアーティストにして文筆家の赤瀬川原平さんも、ご健在。
ボブ・ディランや横尾さんだってもう70代だ。

 

この70歳たちは、みんなどうしてこんなにいい表情をしているんだろう。
なんか21世紀の70代って、これまで僕たちがイメージしてきた、いわゆるお年寄りとぜんぜん
違うんじゃないかっていう気がしてきた。

 

歳をとるのは子どもに還ることみたいだといわれるけれど、彼らの眼にはもっと奥深いものが
視えてるみたいだ。

 

歳を重ねることが、楽しみになってきた。

 

*

 

そういえば、ルーシー・リーの展覧会が行われていたところに常設されている焼きものも、
「モノ狂い」の夢の跡だったことを、ふと思いだした。

 

安宅コレクション。

 

掌でつつめば隠れてしまいそうなくらいに小ぶりの茶碗、800年という時代をくぐり抜けた
「油滴天目茶碗」の蒼い光を放つその器は、その一点だけで、そこで見たルーシー・リーの
すべての作品を凌駕するような妖しい輝きに満ちていて、しばらくその場を動けなかった。

 

ルーシー・リーの器が「アース」なら、この茶碗は「宇宙」。

 

器物の域を遥かに超えている。

 

*

 

師走の本買い。

 

こうやって見返してみると、相変わらずの気まぐれなセレクションだが、なんとなく傾向はある。

 

百花の百本」が始まって、それはこれまでのように期限のあるイベントではなく、常設のライブラリーだから、買うときもそのリストや映像は頭の中に浮かんでいる。

 

そのセレクションのモノサシを、「2010年からやっと始まった21世紀を生きのびるためのカタログ」
と走りながら決めた、あんがい真面目に。

 

言葉にしてしまうと少し大仰で、ちょっと恥ずかしいが、ほんとうに生きにくい世の中なったと、リアルに感じることも多いし、20世紀的なものと21世紀的なものの違いを、くっきりと肌で感じるようになった。

 

それはたとえば、twitter であったり、電子書籍であったり、EVであったり。

 

キーワードは、やはり「コミュニケーション」だろう。

 

少しでもそういうもののイメージが広がるような本を、ふんわりと集められたらいいな。

 

2010年も、あともう少し。

 

2011年はどんな未来だろうか。

 

□ シュルレアリスム宣言 溶ける魚    アンドレ・ブルトン   學藝書林  19741225/第1刷

シュルレアリスムという言葉を見ただけで、心が揺れる。

「宣言」は違う版のもので2種類すでに本棚にあるが、「溶ける魚」というなんともシビれるタイトルの作品が収録されたものはこれが初めてである、しかも巌谷國士訳。

紙には空気が棲む。ましてや火が。あの煉瓦色の表紙の無造作な仮綴本から五十年を
経たとしても、数えられる時は長くも短くもなく、いずれ係ることさえもないだろう。時であり、
時でない時が、激烈にまた優しく訪れるだろう、アンドレ・ブルトンという名の形と書物。

序文「一冊の書は」 by  滝口修造

ロクに読みもしない本を何冊も買いそろえるのも、ひとつの「モノ狂い」かもしれないが、自分の本棚にその本を並べたときの、その快感は、やはり捨てがたいのだ。

 

□ 父の有り難う    長谷川まみ   主婦と生活社  2007

身に沁みる写真集だ。

金工家の長谷川竹次郎さんが、ふたりの子どもたちの1歳から20歳の誕生日に贈り続けた手造りのプレゼント。

そのひとつひとつが、ため息がでるほど素晴らしい。

この本の企画者でもある、山口信博さんのブックデザインが秀逸。

permanent collection

 

□ 一千一秒物語    稲垣足穂   木馬舎  19871125/初版第1刷

たぶん足穂の最高傑作が、この版で手に入るとは思ってもみなかった。

この「一千一秒物語」は、稲垣足穂が17歳頃から書き始めた詩集とも掌編ともいえる作品群で、
自らが「自分が生涯かけて書くものは『一千一秒物語』の脚注にすぎないだろう」と予告した作品だ。

たとえばそれは、こんな風だ。

ポケットの月

ある晩、お月様がポケットへ自分を入れて歩いていた
坂道で靴のひもがとけたので 結ぼうとしてうつむいたハズミに ポケットからお月様が転げ出て
急雨に濡れたアスファルトの上を コロコロコロと転げ出した
しまったと思ってお月さんは一生懸命追っかけたが お月さんは加速度を増して転んで行くので
お月さんとお月さんとの距離が次第に遠くなって行った
そしてお月さんはとうとう ズーと下の青い靄の中へ自分を見失ってしまった

1923年、関東大震災が発生した大正12年、トリスタン・ツァラが「ダダ宣言」を、アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を書いたのと同じ時代に、極東の地にこんな文章を書いた人がいたことは、奇跡に近い。

やはり宇宙人なのか。

 

□ 物語の構造分析    ロラン・バルト   みすず書房  19810210/第3刷

□ 超私小説の冒険    赤瀬川原平   岩波書店  19890310/第1刷

□ パリのダダ    ミッシェル・サヌイエ   白水社  19790824/初版

□ 伝統とかたち 建築文化再見    伊藤ていじ   淡交社  19831026/初版

□ 茶の宇宙 茶のこころ    京都新聞社編   京都新聞出版センター  20071023/初版

□ 母なる色    志村ふくみ   求龍堂  19990609/3版

□ アジアの美味しい道具たち    平松洋子   晶文社  19960530/初版

□ 読書欲 編集欲    津野海太郎   晶文社  20011215/初版

□ 陽気な夜まわり    古井由吉   講談社  19940825/第1刷

□ ふらふら日記    田中小実昌   毎日新聞社  19870930/初版

□ いろんな色のインクで    丸谷才一   マガジンハウス  20050915/第1刷

□ 11分間    パウロ・コエーリョ   角川書店  20040530/4刷

□ 千のチャイナタウン    海野弘   リブロポート  19880320/初版

□ わたしの家    大橋歩   講談社  19910415/初版

□ 黒い肌    ビリー・ホリデイ   講談社  19571107/初版

□ コレデオシマイ。    山田風太郎   角川春樹事務所  19970124/第3刷

□ 近代の神々と建築    五十嵐太郎   廣済堂出版  20020301/第1版第1刷

□ 青空    ジョルジュ・バタイユ   晶文社  19710720/6刷

□ 住居学    吉阪隆正   相模書房  19920228/第13刷

□ ディメンション    チャールズ・ムーア   新建築社  19780301/初版

□ 島    宮本常一編   有紀書房  19611015/初版

□ 海の向こうから    レイモンド・カーバー   論創社  19900720/初版第1刷

□ 微光のなかの宇宙    司馬遼太郎   中央公論社  19880520/初版

□ 日本の町    丸谷才一/山崎正和   文藝春秋  19870630/第1刷

□ ハーレムの子どもたち    ローザ・ガイ   晶文社  19780720/5刷

□ 借景と坪庭 古都のデザイン    伊藤ていじ   淡交新社  19650917/初版

□ 激しく倒れよ    沢木耕太郎   文藝春秋  20020930/第1刷

□ 盲目物語 名著復刻    谷崎潤一郎   ほるぷ出版  19840401/第13刷

□ 副田高行の仕事と周辺    副田高行   六曜社  20010224/初版

□ 熱帯幻想 Fantastic Dozen 7    荒俣宏   リブロポート  19910620/初版

□ バウハウス工房の新製品    ヴァルター・グロピウス   中央公論美術出版  19910710/第1刷

□ 花伝書    勅使河原蒼風   草月出版  19800408/第2版第1刷

□ 充たされざる者 上・下    カズオ・イシグロ   中央公論社  19970710/初版

□ ぼんやり空でも眺めてみようか    竹山聖   彰国社  20071101/第1版

□ モノ誕生「いまの生活」    水牛くらぶ編   晶文社  19900620/2刷

□ アンリ・ルソーとフランス素朴派の画家たち    瀬木慎一編   印象社  19861010

□ Twentieth-Century Design    J.M.Woodham   OXFORD  1979

□ べっぴんの鯛    伊集院静   アートン  20040531/初版第2刷

□ 日本雑記他    小泉八雲   恒文社  19751130/第一版第1刷

□ アントナン・アルトー全集1    アントナン・アルトー   現代思潮社  19711025/初版

□ 平面 空間 身体    矢萩喜従郎    誠文堂新光社  20020419/第2刷

□ 普段着の住宅術    中村好文   王国社  20061030/6刷

□ メタボリズムの発想    黒川紀章   白馬出版  19720525/第1刷

□ 夢の書 わが教育    ウィリアム・バロウズ   河出書房新社  19980522/初版

□ 菊と刀 日本文化の型    ルース・ベネディクト   社会思想社  19830730/初版第30刷

□ 現代の茶会    千宗室他   新潮社  19840725/初版

□ F.L.WRIGHT  TALIESIN WEST    二川幸夫編A   DA EDITA TOKYO  19891107

□ 東京面白倶楽部    矢吹申彦   話の特集  19840215/初版

□ どこかにいってしまったものたち    クラフト・エヴィング商會   筑摩書房  19970625/初版第1刷

□ 手仕事の日本 新装・柳宗悦選集2    柳宗悦   春秋社  19720420/新装版第1刷

□ ギンズバーグ詩集 増補改訂版    アレン・ギンズバーグ   思潮社  19990601/新装第3刷

□ はるかに海の見える家でくらす    大橋歩   徳間書店  19921231/初刷

□ minimalism design sourse    Encarna Castillo   Collins Design  2007/4th printing

□ ANDY WARHOLE’S FACTORY PHOTOS    Billy Name   アップリンク  19960425/初版

 

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