建築家と設計士の違いは、その作品に批評性があるかどうかということじゃないかと思う。
批評性とはつまり、 something new に対するクリエイティブな欲求であり、 いままでのあり方を
変えようとする明確な意志であり、さらにもっと抽象的に表現するなら、人間のつくるもの、そして
人間のつくれないものへの「愛」のことだ。
フランク・ゲイリーの、刺激的な 新刊本(新古)を買った。
□ gehry talks : architecture + process 鹿島出版会 20080125 初版
ビルバオ・グッゲンハイム美術館(映画 「007 The World Is Not Enough」のオープニングにつか
われたのが印象的だった)であまりにも有名になってしまった建築界の「鬼才」のこれまでの軌跡
をたどる作品集といってもいい本だけれど、それぞれの作品に付記された建築家自らの独白が、
とても興味深い。
知名度からすると断片的な情報しかなかった人だけに、この建築家のこれまでの代表的な仕事
が網羅され、しかも自らのコメントが入ったこの本は、決定版といってもいい一冊だろう。
彼の「脱構築(deconstruction)」といわれる自由なフォルムへのこだわりは、年を経るごとに深化
をみせ、ポップともアバンギャルドともつかない近年の作品のその様相は、「建築のかたちをした彫刻」
と呼ぶにふさわしい爆発ぶりだ。
あきらかにコルビュジェ的なモダニズムから一線を画した建築。
stay foolish な魂だけに視えるタカラモノ。
「私も、もともとはシンメトリーとグリッドに熱中していた人間なんです。グリッドの上で設計していま
したが、それを疑うようになって、結局はデザインを縛りつける鎖であることに気づきました。
フランク・ロイド・ライトも30°-60°のグリッドに縛られていたのであり、彼には自由がなかったのです。
グリッドは強迫観念、足かせにすぎません。そして、空間や形態をつくる力があれば、そんなものは
必要ないのです。アーティストはそれを実践しています。彼らはグリッドを使わず、ただつくるのです」
昨年公開されたシドニー・ポラックの「 Sketch Of Frank Gehry 」という映画で、クシャクシャの紙で
できた奇妙なカタチの建築模型を前にして、
that is so stupid looking and it’s great !
と叫んでいた彼の姿が眼に浮かぶ。
なんといっても、ロサンゼルスに住んでいることが大きいんじゃないかと思う。
あのあっけらかんとしたカリフォルニアの青い空の下で暮らしていると、頭の中がヌけてくるんだ。
イギリスからきたホックニーが南カリフォルニアに点在するスイミング・プールをポップに描いた
ように、18才でトロントからL.A.に移住した彼は、パリを放浪したあと、自らの住む家を「脱構築」
的にリノベーションした。
いまはもう改築されてしまったようだけれど、彼の原点とされているサンタモニカのこの自邸は凄い、
ほとんどヤケクソのようである。
神戸の港にはゲーリーの造った魚が踊っている。
錆びを止めるためにピンクに塗ってゲーリーにひどく叱られたというこの「 fish dance 」や、雨漏
りで訴えられたという MIT の stata center も素敵だけれど、個人的には「フレッド&ジンジャー」
とか「the dancing house 」とかいわれているプラハのナショナル・ネーデルランデン・ビルのお茶目
な佇まいが大好きです。
ユーモアこそがもっとも知的なセンスだから。
*
ひさしぶりにいくつかのいい本が見つかった、僥倖なり。
□ 空間へ 磯崎新 美術出版社 19730410 4刷
都市破壊業KK
あなたはこの奇妙なビジネスを笑ってはいけない。この会社は大真面目で存在している。この東京
のどまんなかに、そう空中にただよいながら、この都市にいきるあなたのせいかつの裂け目にしのび
こもうとしているのだ。
□ センチメンタルな旅 冬の旅 荒木経惟 新潮社 19910410 3刷
前略
もう我慢できません。私が慢性ゲリバラ中耳炎だからではありません。たまたまファッション写真が
氾濫しているのにすぎないのですが、こうでてくる顔、でてくる裸、でてくる私生活、でてくる風景が
嘘っぱちじゃ我慢できません。これはそこいらの嘘写真とはちがいます。この「センチメンタルな旅」
は私の愛であり写真家決心なのです。自分の新婚旅行を撮影したから真実写真だぞ!といってる
のではありません。写真家としての出発を愛にし、たまたま私小説からはじまったにすぎないのです。
□ コミマサ・シネノート 田中小実昌 晶文社 19781110 2刷
木曜日、いなり寿司(五コ六十三円)を買って蒲田駅西口のパレス座に行く。どんな計算で六十三円
になり、いったい、一コいくらなのか、だいぶ考えたがわからない。
キップ売り場には、大人割り引き百五十円と書いてあった。「いま割り引き時間?」と、テケツの女のコ
にきいたら「いいえ」という返事。とにかく百円玉を二つ出すと十円玉が五つかえってきた。こいつも、
よくわからない。
□ 古道具 中野商店 川上弘美 新潮社 20050425 2刷
だからさあ、というのが中野さんの口癖である。
「だからさあ、そこの醤油さし取ってくれる」と、ついさきほども突然言われて、驚いた。
書きだしに、そのひとのすべてが表われているような。