そういえばコミューンっていうのがあったよな、とふと思った。
寺山修司と天井桟敷のことを調べていて、その創立時のメンバーに横尾忠則や萩原朔美の名前が記されているのを見つけたときだった。
アングラといわれた小劇団が全国を巡っていた時代があったと、この前のエントリーに書いたけれど、単純な演劇集団なら横尾忠則が参加することなんて考えられないし、劇団として旅公演(海外も含めて)をすることを日常にしていたっていうことは、みんなで生活を共にするっていうことだから、そのころ(1960年代後半)の流行だった「コミューン」というヒッピー的なライフスタイルへの憧れのようなものがその根底にあったんじゃないかと思ったからだ。
そう思ったとたんに、映画「easy rider」で、ピーター・フォンダ(キャプテン・アメリカ)とデニス・ホッパー(ビリー)が、ニュー・オーリンズに行く旅の途中で立ち寄った山の中のコミューンのこと、コンサートでスライ&ファミリーストーンの歌詞から 「We got to live together」 というメッセージを引用したジャクソン・ブラウンのこと、細野晴臣がインタビューで、最初のソロアルバム「hosono house」を録音した狭山の米軍ハウスがあった通称アメリカ村には、その頃(1973)ミュージシャンやアーティストが集まっていて、コミューンのような幻想があったといってたこと、三重の山の中で自給自足をし、鶏卵を売り歩いていたヤマギシ会とヤマギシズムのこと、スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式(2005)に招かれた時のスピーチ(原文・訳文)で引用した「The Whole Earth Catalog(グーグルのペーパーバック版とでも言うべきもの、と彼はそこでいっている)」のこと、そしてたぶん今でもオレゴンや北カリフォルニアの山の中で緩やかに「back to nature」な生活をしているオールド・ヒッピーたちのことなんかが、溢れ出るように頭を駆け巡った。
いわゆるヒッピー的な「コミューン(自給自足の共同体)」なんていかにもアメリカらしい脳天気な概念で、とっくに死語になってしまったコトバだけれど、今もてはやされているサスティナビリティ(持続可能性)やオーガニック(有機農業)やエコロジー(生態学)なんていう環境にまつわるさまざまなことが、この無邪気な理想主義からはじまったことは間違いないし、昨今いわれる「共生」や「スローライフ」や「エコ」なんていうコトバが、最初からコマーシャリズムやマーケティングに塗れてしまっていることを考えると、無邪気なほうがまだしも救われるんじゃないかという気がしてくる。
少なくとも彼らは、コマーシャリズムに対してはっきりと No ! と宣言し、システム(メイン・フレーム)に依存しない自立した生き方というものを本気で考えたんだから。
ジョブスが、件のスピーチで引用したWhole Earth Calalog のメッセージはとても素敵なものだった。
Stay hungry. Stay foolish.
このスピーチをあらためて読んでみると、apple が造り出したパーソナル・コンピュータという概念そのものが、「コミューン(=カウンターカルチャー)」への道しるべであろうとした Whole Earth Catalogの「access to tools」というコンセプトの今日的表現であることがよくわかるし、サンフランシスコの南の小さな町のとあるガレージで、LSDやマリファナをキメて、「Far out ! , men 」なんていいながら、Jefferson Airplane や Grateful Dead のアルバムを聴いているスティーブとウォズの foolish な姿が目に浮かんでくるようだ。
うまく日本語にすることはできないけれど、いつまでも foolish であること、それが hip なんだよと、いっているような気がするんだ。
そしてこの国で、コミューンの思想の行き着いたところが、オウム(宗教)とロハス(コマーシャリズム)
だけだったかもしれないと考えると、ちょっと悲しい。
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買う本の数より売れる本の数が多いのは、喜ぶべきことなのかそれとも憂うべきことなのか。
□ JONVELLE ZWEI Jean-Francois Jonvelle SWAN 1989
フランスのファッション写真家のモノクロ写真集(独版)、オリジナルタイトルは「JONVELLE BIS」。
ヌードを中心とした女性の写真ばかりなんだけれど、カメラアイも女性にコンプレックスや支配欲を感じない優しいものだし、モデルの視線がどれもすごくナチュラル。
エロかわいいって、決してあんなのじゃなく、こんなのをいうんだろうなあと思います。
まずなによりも、女の人が大好きじゃないとこういう写真はとれません。
□ 自分を語るアメリカ 片岡義男エッセイコレクション 太田出版 19950904 初版
「自分たちのさまざまなことについていろんなふうに語ることを、アメリカの人たちほどに好いている人々を、僕はほかに知らない。」
片岡義男がピックアップした本の中のアメリカ。
この人独特の乾いた文体は、麻薬的なところがあって、文章への引き込まれ方がとても気持ちいい。
アメリカの本や雑誌やカタログについて語ったこのエッセイは、彼の独断場といってもいいステージで、他の誰にもまねのできないリアリティにみちた語り口は、このエッセイが載せられていた当時の「ポパイ」でもっとも楽しみな記事のひとつでした。
□ 雪が降る 藤原伊織 講談社 19980722 2刷
昨年亡くなったイオリンの江戸川乱歩賞・直木賞のダブル受賞後の短編集。
たしか読んだことがあるはずだし、だとしたら本ももっているはずだけど、ストーリーがまったく思い出せなかったのでまた買ってしまった。
「ドロップアウトした男」を描かせたら、この人の右に出るものはない。
無頼派とよばれる人たちが、実は大ロマンチストであるというのは、もはや定説といってもいいくらいの真実で、この人ももちろん例外ではなく、ハードボイルドなテイストに溢れる長編よりも、佳作が集まる短篇集にそのことが顕著に現れているように思います。
なかでも表題作「雪が降る」は、この作者の切ない短篇NO.1じゃないかというもっぱらの噂。
□ 闇を打つ鍬 河野信子 深夜業書社 19700701 初版
□ 厭芸術浮世草紙 富岡多恵子 中央公論社 19700530 初版
ジャケ買い。
どちらも1970年の赤瀬川原平装幀の本なのだ。
年譜を見ると、「贋千円札事件」が最高裁判決により有罪確定・美学校・美術演習講師となる・朝日ジャーナルに「野次馬画報」を連載開始、著書でいうと「オブジェを持った無産者」のころで、その後の芥川賞やトマソンの前の、もっとも激動の時代の作品。本棚で背表紙を向けていてもすぐにわかる独特のタッチは、原平さんが前衛アーティストの気配を残していたこの時代ならではのものです。
「闇を打つ鍬」のほうは、著者も出版社もまったくの初見で、ひょっとしたらお宝かもしれません。