なんとも不思議なPOP感を持ったアルバムに出合った、それも2タイトル。
■ Everything That Happens Will Happen Today David Byrne & Brian Eno 2008/8/18
■ Circus Money Walter Becker 2008/6/10
Amazonの森の中でたまたま出合ったCDだけれど、どちらもなんともいえない今日感に溢れている。
この2つの作品に流れている共通感をどのように表現したものか、ずっと考えている。
音楽のテイストはぜんぜん違うものなんだけれど。
かたや27年ぶりのコラボレーション、もう一方は14年ぶりのソロアルバムということで、それほど
目新しさはないけれど、どちらもロックのプロパーでは、一筋縄ではいかないミュージシャンとして
知られている。
どちらのアルバムも洗練された上質のプロダクションで、クオリティは高い。
Walter Becker は、もうひとりの Steely Dan
かれこれ30年以上つきあってて思うけれど、Steely Dan のふたりはとんでもない偏屈野郎だ。
でもその偏屈が、きわめて都会的で凝りに凝った音として表現されるんだから、偏屈も悪くない。
じっさい1972年の「Can’t Buy A Thrill 」に始まる彼らのキャリアに駄作はないし、そもそも
偏屈じゃない健全なアーティストなんて、魅力があるとも思えない。
このアルバム「Circus Money」は、その Steely Dan の目立たないほう(ギタリスト)が
今年リリースした2作目のソロアルバム、ファーストアルバム「11 Tracks Of Whack」が
1994年の発表だから、このアルバムは14年ぶりということになる。
その間ハワイで薬物中毒のリハビリ( その合間にフェイゲンを含む何人かのアーティストの
プロデュース、そして Steely Dan のツアー )をしていたというから、順調に(凝り性の人
らしくそれぞれたっぷり時間をかけてだけれど)作品を発表しつづけるもう片方の Steely Dan、
Donald Fagen と比べると、いかにも不器用だ。
アルバムのプロデュースは、Larry Klein (ジョニ・ミッチェルの ex-husbandだ)
単純計算でいくと、Steely Dan - Donald fagen = Walter Becker となるわけで、バックが
「Everything must go」やフェイゲンの最新作と同じミュージシャンだから、まあ当たらずとも
遠からずだけれど、じっくり聴きこむと、かなり捻ったこの人独特の音の景色が視えてくる。
レゲエビートを基調にしたタイトなサウンドに重なる、なんともユルいベッカーの声。
なかでも「 Looking Upside Down 」という曲の、溶けていくような浮遊感のあるサウンドに
ノックアウトされて、一日に何回も繰り返し繰り返し聴いている。
不器用でハイセンスな NEW YORK のミュージシャンが造ったこの一曲を聴くだけでも、
このアルバムの価値があると断言する。
食べものでいうとブルーチーズとか豆腐餻とかそっち系、よく醗酵していてクセになる味なんだ。
前作の「 My Life In The Bush Of Ghosts(1981)」は衝撃的だった。
エレクトリックなアフロ/ファンクビートに重なる意味不明のサンプリングとバーンの神経症的
なヴォーカル、そして同時期に発売されたトーキング・ヘッズの「Remain in Light」とのダブル
インパクトで、エスノロックなるジャンルが生まれ、新しい時代のダンス・ミュージックを予言した。
現代のヒップホップやオルタナティヴ・ロックといわれる音楽で、このふたつのアルバムの影響
を受けていないものはないんじゃないだろうか。
そして21世紀のこのアルバム。
もともとは、 re-master で再発売される「 My Life In The Bush Of Ghosts 」の 打ち合わせの
ためにロンドンに行ったバーンが、イーノのスタジオで彼がが造りためていた曲 “a lot of music
which I never formed into songs ( by Eno )” を聴いたことから始まったプロジェクトで(イーノ
にいわせると “dinner conversation” からなんだ” ということだけれど、実際には最近どんなこと
やってんの、じゃオレいっかい歌詞つけて唄ってみようか、てな感じだったんだろうきっと)、イーノ
がサウンドを、バーンが歌詞とヴォーカルという分業スタイルによって完成させたものだという。
全体の音のデザインは、イーノが2006年にプロデュースしたポール・サイモンの「surprise」や、
コールドプレイの最新盤「Viva La vida or Death And All His Friends」に近い。
このへんの感じ(ホワットした電子音のレイヤーによる浮遊感)が、おそらく最近のイーノのポップ
ソング( ambient ではなく)へのアプローチなんだろう。
気になって「 My Life In The Bush Of Ghosts 」も聞き直してみたけれど、ベースやドラムじゃない
電子音の積み重ねでリズムの「うねり」を造りだすという構造自体が変わっているわけではない。
ただこのアルバムではその音の粒のひとつひとつに滋味のようなものが加わって、「球体の奏でる
音楽(by Kenji Ozawa)」とでもいえるような奥行きのあるプロダクションなっているのが特徴的だ。
ライナーノーツではふたりとも口をそろえてこの音楽を「 electronic gospel feeling 」と表現している。
イーノがいうように、このアルバムのサウンドが近年彼が魅かれているゴスペルという宗教音楽に
インスパイアされた音であることは間違いないし、その曲を聴いたバーンがそれを敏感に感じとって
いることも確かだけれど、じゃあこれがゴスペルかといわれると、じつはあまりそんな感じはしない。
けっきょくゴスペルといっても、その実質的な形態ではなく、「 Bush Of Ghosts」でアフリカンビートを
見立てたように、今日的なポップソングのベースとしてゴスペルのスタイルやニュアンスを見立てたと
いうことじゃないんだろうか。
バーンは暗喩の多い歌詞を造るひとだから、ブックレットの歌詞カードを読んでいても、イマイチ全体の
感じがよく掴みきれないんだけれど、この「ゴスペル」がキーワードになって、なんとなく宗教的な気配
(”Biblical allusions” と彼はいっている)が漂っているのはよくわかる。
アルバム全体の印象は、ひとことでいうと「 Talking Heads in 21st century 」っていう感じ。
Talking Heads はバーンのバンドだったんだって、あらためて思う。
デヴィッド・バーンは、じつはけっこう「家」好きだ。
78年発売のトーキングヘッズの2枚目のアルバム( produced by Brian Eno also)も、「more songs
about building and food 」と名づけられているし、「Remain In Light 」には「 houses in motion」という
曲が、その次の「 Speaking in Tongues 」にもシングルカットされた「burnin’ down the house 」なんて
いうファンキーな曲が収められている。
このアルバムにも一曲目に「 home 」という曲が入っていて、ジャケットや同封のブックレットのデザイン
を見ると、どうやらアルバムのコンセプトが「家」にまつわるもののようだ。
そしてなぜか1月23日のバーンのコンサートのチケットが手元にあったりするんだ。
このふたつのアルバム、センスはまったく違うけれど、どちらの作品にも漂うあてのない浮遊感は、
いかにも2008年的といえなくもない。
どちらかを選べといわれたら、Becker かな。
微かにだが、blues の匂いがするから。
そういえばどちらのタイトルも、難しい単語じゃないのに意味がよくわからない。
「Everything That Happens Will Happen Today 」の everything ってなんのことなんだ?
「Circus Money」ってどんなお金なんだ?
*
■ 文字の美・文字の力 杉浦康平編 誠文堂新光社 20081204 初版
新古本。
中島英樹「文字とデザイン TYPO-GRAPHICS」の流れでこんな本が見つかった、同じ出版社だ。
前にも書いたことがあるけれど杉浦康平さんの本は本棚でのインパクトが強くて、つい手に取って
しまうし、手に取ると必ず欲しくなってしまう、ちょっと高いんだけど。
この本は、アジアの図像のトップランナーが、読むものではなく書くもの「身体を動かして生み出す
もの」としての「漢字」に挑んだもので、これはもうタイポグラフィという枠を飛びこえたひとつのアート
と考えたほうがいいでしょう。
書でも活字でもない「文字(漢字)」の見立てはこの人でしかでき得ないスゴ技だと思います。
もちろん造本は最高、写真も文字も限りなく美しい。
「手足をのばし、声をのせて踊りだす文字。呪力あふれ,霊気をはなつ文字…人々が気づかぬ場所に
ひっそりと現れ,棲みつく文字は,思いがけないふるまいで,眼に見えない力をたぐりよせ,日々の暮らし
を活気づける。文字たちの予想を越えた変幻の妙,魅惑にみちた姿・形に眼をこらす… 」
■ マンダラ 出現と消滅 西チベット仏教壁画の宇宙 西武美術館 19800719
流れはさらに続く。
1980年に西武美術館で開催された「マンダラ=出現と消滅」展の図録、もちろん杉浦デザイン。
密教のことをよくわかっているわけではないけれど、図像的にも哲学的にも曼荼羅には魅かれる。
どうも自分の魂の根源が、チベットの奈辺にあるような気がしてしかたないのだ。
日々の暮らしで、神や仏とそれほど密接な関係をもっているわけではないけれど、仏教の美術や、
山や石にひそんでいるという八百万の神の存在には感じるところが多い。
この本に収められた様々な仏画や曼荼羅を眺めていると、空や海や大地といった自然から感じとる
漠然とした人の想いのようなものが、執念となってカタチを成したものではないかと思えてくる。
日々こんな画を壁にはって祈っていれば、「悟り」がひらけそうな気がするから不思議なもんだ。
とにかくわけのわからぬものはありがたい。
■ 魂のいちばんおいしいところ 谷川俊太郎 サンリオ 19960310 9刷
タイトル買い。
こういう言葉のデザインが、詩人が詩人たる所以なんだろう
ジャケットのホックニーの絵(small interior, Los Angeles)もよく似合ってるし、大きさもいい。
珍しくイラストレーションの上に文字をのせている平野甲賀さんの装幀。
詩には良いも悪いもありません、ただ感じるかどうかだけ。
魂のいちばんおいしいところ
神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに
何ひとつ言葉はなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる青空にひそむ
あのあてどもないものに逆らって
そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
瑞々しさは、言葉の宇宙の宝もののひとつでしょう。
*
a tiny trivia from WIKI
「Windows 95」の起動音「The Microsoft Sound」はイーノの作品だそうだ。
マイクロソフトからの依頼は「人を鼓舞し、世界中の人に愛され、明るく斬新で、感情を揺さぶられ、
情熱をかきたてられるような曲。ただし、長さは3.25秒」というものだったらしい。