久しぶりに新刊を買った、というより買わずにいられなかったと言ったほうがいいかもしれない。
■ 現な像 杉本博司 新潮社 20081220
前作「苔のむすまで」から3年ぶりのエッセイ集。
さらにamazonの巧みな計略に見事にはめられ、彼を特集したプチ写真集ともいえる写真誌も。
■ Photo GRAPHICA vol.13 /2008 winter MdN/インプレス
どちらも、金沢21世紀美術館での「歴史の歴史」展にタイミングを合わせてのもののようだ。
杉本博司は、日本人では数少ないインターナショナル・レベルのアーティストだ。
よく知られている写真だけでなく、古美術や建築にも造詣が深く(ニューヨークで10年も古美術商
をやっていたというから驚きだ)、その研ぎすまされた感性は、インスタレーション(漆喰塗りだけで
2年かかったというまるで美術館のような自邸!)や建築(直島の護王神社)にまで及んでいて、
写真家というよりは、現代美術の作家といったほうが正確だろう。
成熟した大人の art piece
彼の作品の最大の特徴は、コンセプチュアルということだろう。
たとえばデュシャンが、男性用の小便器をさかさまにして署名を施した「泉(1917)」という作品で
予言しているように、現代美術(モダニズム)が「見立て(メタフィジカルな制作という概念)」までを
包含していることは明らかで、彼のスタイルがことさらコンセプチュアルであることを強調することは
ないのかもしれないけれど、彼のメインフィールドである写真は、対象をどのように見るかという
「視点(camera eye)」そのものが表現のコアなんだから、コンセプチュアルであることはことのほか
重要な分野だと思う。
まして「ポストモダン時代を経験したポストモダン以前のモダニスト」を自認するこの人であれば、
コンセプトに忠実であるというモダニズムの基本概念が、「倫理」となって身体に宿っていても
不思議じゃない。
: Dioramas ジオラマ 1976
「虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になるのだ」
あのホールデン・コールフィールドが、妹フィービーと待ち合わせをした(「この博物館でいちばん
良かったのは、すべてのものがいつも同じところに置いてあったことだ」と彼はいっていた)ニュー
ヨークのアメリカ自然史博物館に展示してある古生物や古代人のジオラマを実像であるかのように
(片眼をとじて)撮影したシリーズ。
: Theaters 劇場 1978
「映画一本を写真で撮ったとせよ」
アメリカ各地の古い劇場やドライブインを訪れて、上映中のスクリーンを上映時間の長さだけ露光し、
そのまま印画紙に焼き付けた。
とうぜんスクリーンは時間そのものを露光し光り輝く、そして画面には劇場の姿が露に投影される。
: Seascapes 海景 1980
「原始人の見ていた風景を、現代人も同じように見ることは可能か」
「心理的タイムマシンに乗って世界中を旅をして撮った」という、まったく同じ構図のモノクロの海、
水平線が中央にある海の景色。 その海景の繰り返しが、眩暈と静寂を同時に呼び起こす。
: Architecture 建築 1997
「私は現代のはじまり(モダニズム)をその建築物から辿ってみることにした」
方法論は、無限の倍という焦点距離、物理的にあり得ない空間にピントが合ってしまうわけだから、
とうぜん被写体はボケボケに写る(「溶ける」と彼は表現している)。
優秀な建築は大ぼけ写真でも溶け残るのだという、本人曰く「建築耐久テストの旅」。
たしかにその写真には、夾雑物が取り除かれた建築の霊が映っているような感じさえする。
: In the Praise of Shadow 陰翳礼讃 1998
「蝋燭の一生を記録してみることにした」
闇の中の一本の和蠟燭が燃え尽きるまでを露光し、光の帯と影だけという写真の最小限のもの
だけを写し撮ったシリーズ、光は闇の投影にすぎない。
8 x 10 という写真の原形ともいえる大判カメラを駆使し、あるいは脳内のカメラをフルチャージして、
彼が捉えようとしてしているのは、いってみれば「時の移ろい」とでもいうべきものだろう。
幸せなことに、ぼくたちは彼が視た時間や光の残像を photograph として眺めることができる。
そしてこの新刊。
この本のあちこちに地雷が仕掛けられていることは、チラチラと眺めているだけでも感じとれる。
なかでも海面から30mのレベルの断崖に置かれるという、100m x 1レーンの水平線と一体化した
ガラスのプールは、液体に浸ることに快感を覚える人間の脳内のイメージ中枢をはげしく刺激する。
その細くて長いプールは、春分の日の日の出日の入りの方角に設定されていて、早朝泳ぐ者は
日の出ずる国を目指し、夕刻泳ぐ者は西方浄土を目指すというわけだ。
「古代の補陀落渡海のように身一つで異界を目指して渡る、そうした現代人が喪失してしまった
感性を呼び戻すための装置としてこのプールを想起したのだ。」
あくまでコンセプチュアルなのだ。
こういう毅然とした刀剣のような本の話で、この年の掉尾を飾れるのもなかなかイイもんだと思います。
年末年始はこの本で愉しめそう。
それにしても冬の金沢、蟹と温泉と杉本博司、行きてー。
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年末の本買
どういうわけかここにきてけっこう真面目な本が集まってきました。
ついつい読みやすいモノから手をつけていってしまうので、こういうのはどこまで読めるか、ですね。
掘り出しは、濱谷浩さんの写真集と内田百閒、
濱谷浩さんの作品集は、瀧口修造から開高健までの昭和の文筆家(學藝諸家)88人の肖像を、
ストレートな眼差しで撮ったもの、これもまた、写真表現の一面でしょう。
内田百閒は、この人のちゃんとした本が欲しいとずっと思っていたんで、この装幀の良い本の初版が
入手できたのはラッキー、タイトルがシブい。
■ 絶対文藝時評宣言 蓮實重彦 河出書房新社 19940215 初版
■ 映画の構造分析 内田樹 晶文社 20030615 初版
■ マルセル・デュシャン「遺作論」以後 東野芳明 美術出版社 19900401 初版
■ 世阿弥 瀧川駿 圭文館 19620320 初版
■ 17歳のための世界と日本の見方 松岡正剛 春秋社 20070225 第7刷
■ 滞欧日記 澁澤龍彦 河出書房新社 19930205 初版
■ ヨーロッパの不思議な町 巌谷國士 筑摩書房 19900830 初版第1刷
■ 24365沖縄 24365沖縄研究会 集英社インターナショナル 20060731 初版
■ 學藝諸家 濱谷浩 岩波書店 19830325 第1刷
■ THE EARTH BOOK スイッチパブリシング 20081210 第1刷
■ 日沒閉門 内田百閒 新潮社 19710415 初版
■ 20世紀はどのようにデザインされたか 柏木博 晶文社 20020210 初版
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