David Byrne のあの痙攣ダンスを観たのは29年ぶりだ。
ずっとやってるほうもエライけど、忘れずに駆けつけるほうも相当だと思う。
■ David Byrne “Songs of David Byrne and Brian Eno” Nanba Hatch 20090123
この前彼をステージで見たのは Hollywood の Pantages という由緒ある古い劇場、
Talking Heads の「Remain in Light」のプロモーションツアーのときだった。
のちに「STOP MAKING SENSE( by Jonathan Demme 1984 )」として劇場公開された映画と
ほぼ同じスタイルでデザインされた(というかあの映画はこのときのステージが原形だろう)その
コンサートでの、Talking Heads が弾きだす強力なファンク・ビートと David Byrne の痙攣的な
パフォーマンスの記憶は、今も鮮烈に残っている。
その時このTalking Heads というNew Yorkのアートスクールバンドが放っていたオーラは、時代
の先端を走るアーティストだけに与えられる一瞬の輝きではなかったかと、ふりかえれば、思う。
(そしてそれは往々にしてそうなんだけれど、それがかれらのキャリアのピークでもあった。)
このコンサートも凄かったけれど、映画「STOP MAKING SENSE」にはもっとシビれた。
ロックコンサートが、こんなにアーティスティックに演出できるのか、こんなにクールに撮れるのか。
Byrne がプロデュースしたそのパフォーマンスと映像は、四半世紀を経た今でも充分に刺激的だ。
ROCK + FUNK + AFRO + NOH(能)の フュージョン。
Talking Heads の Pantages Theater でのパフォーマンスと、この「STOP MAKING SENSE」は、
ROCKのひとつの祝祭として語られるべきものだと思う。
で、2009年のオーサカでのコンサート。
David Byrne と3人のダンサーと7ピースのバンドは、全員が真っ白いコスチュームで登場した。
「2ヶ月ほど前、英国人(と彼は強調した)の Brian Eno と一緒にアルバムをつくったんだけど、
今夜はその新しいアルバムの曲と、みんなが良く知っているHeadsのいくつかの曲を選んだよ、
Chef’s Choice だから。」
と、この人らしい律儀なMCから始まったコンサートのオープニングは、新しいアルバムの中でも
Byrne らしさが際立っていた「Strange Overtones」、続いて「I Zimbra」、Talking Heads の3枚目
のアルバム「fear of music」からの、アフロファンク・チューンだ。
観客もあまり多くなかったし(500人くらいだろうか)、日本での最初のパフォーマンスだったせいか、
やや緊張感を漂わせた幕開けだったけれど、曲が進むごとに少しずつ暖まってきたオーディエンス
の気配を感じて、彼自身もだんだんとヒートアップしていく。
声がとてものびやかだ。
才気煥発を絵に描いたようにシャープな印象だった Talking Heads のころと比べると、いい感じに
角がとれてとてもリラックスしている、憑かれていたものからすっかり解放されたような雰囲気。
表情が柔らかい。
このバンドで、去年の夏からはじめて今年4月まで8ヶ月のワールドツアーをやっているというから、
単なるプロモーションではないだろうし、ステージでのいかにも楽しそうな彼の表情を見てると、
ミュージシャンとしてのライブ・パフォーマンスにまた目覚めたんじゃないかと思ったりする。
音はうねりのあるイン・ツーのビート、ベースのシンコペーションで自然に躯が揺れてくる。
Blues は感じないのに Funk、なんかちょっと不思議な感覚、腰は動くけど歩くようなタテノリだ。
ブルーアイドソウルと呼ばれる音楽があったけど、その伝でいえば、この音楽はブルーアイドファンク
といってもいいものだろう。 ぜんぜん今風じゃないけれど Byrne と Eno が翻訳したある種普遍性
のあるダンスミュージックじゃないかと思う。
「electric gospel feeling」と彼が語っていた新しいアルバムの曲と、Talking Heads のワンコードで
押していくファンク・チューンが違和感なく混じりあって、心地良いグルーブがホールを包んでいる。
観客は少ないけれどそのぶん一体感は強い。
コンパクトなホールで、PAが通っていない生音もよく聞こえるし、Byrne の唾がとんできそうだ。
2時間20曲、そして余韻。
3回目のアンコールで、アルバムのタイトルチューン「Everything That Happens Will Happen Today 」
をゆったりと、Electric Gospel 風に歌った Byrne は、優しい微笑を浮かべてバックステージに消えた。
いろんなことがあっても、自分自身がちっとも変わっていないように、ステージにいた57才のバーンも、
Pantages にいた28才のバーンと結局はそんなに変わっていないんだと、夜風の帰り道で気がついて
少し嬉しくなった。
Set List of “Songs of David Byrne And Brian Eno” 2009/01/23 at OSAKA
01 STRANGE OVERTONES
02 I ZIMBRA
03 ONE FINE DAY
04 HELP ME SOMEBODY
05 HOUSES IN MOTION
06 MY BIG NURSE
07 MY BIG HANDS (FALL THROUGH THE CRACKS)
08 HEAVEN
09 NEVER THOUGHT
10 POOR BOY
11 CROSSEYED & PAINLESS
12 LIFE IS LONG
13 ONCE IN A LIFETIME
14 LIFE DURING WARTIME
15 I FEEL MY STUFF
(encore)
16 TAKE ME TO THE RIVER
17 THE GREAT CURVE
(encore)
18 AIR
19 BURNING DOWN THE HOUSE
(encore)
20 EVERYTHING THAT HAPPENS WILL HAPPEN TODAY
調べてみたら Byrne ってスコットランド生まれ、生粋の Scottish だった、頑固なはずだよ。
*
前に書いたかもしれないけれど、なんだかとてもいい感じのバランスで本が買える日があって、
そんなときはとても気分がいい。
いいバランスというのは、その日買う本のジャンルや体裁や値段の比重がどこにも偏らないで、
全体を眺めたときになんとなく破調なく収まっている状況のことだ。
ほとんど新刊といってもいい日本の小説、ちょっと珍しい翻訳ノンフィクション、インテリアの図版
(洋書)、デザインのいい料理本、比較的新しいミステリーの文庫、80年代の太陽、最近のPEN。
崩しようもなくまとまっていると思うんだけど、ひょっとしてこれってただの自己満足?
■ Mapplethorpe : The Complete Flowers teNeues 2006
MoMA store のバーゲンで入手。
オレンジのきれいな函に入っていて、包みを開けたときにはおもわず声が出た。
400 x 294 x 58mm 256P の大型本、これまでに発表されたメイプルソープの「FLOWERS」
シリーズがすべて(350点)掲載されていて、印刷も文句なし。
「FLOWERS」決定版といってもいい一冊じゃないかと思う、ブックデザインも素晴らしいし。
もう一冊の写真集のコメントにも書いたように、構成美こそがメイプルソープの写真の真髄で、
それは彼のライフワークのひとつだったこの花の写真にもっともよく表現されている。
「写真をファイン・アートに高めた作家として知られるロバート・メイプルソープ(1946-1989)。
“FLOWERS (花)”はポートレートなどとともに彼のライフワークのシリーズです。初期はモノクロ
作品が中心でしたが、80年代から死の直前まではカラーでの制作にも取り組んでいます。
1988年には、ロバート・ミラー・ギャラリーの”New Color Work”展で発表されたダイトランスファー
の”FLOWERS”作品が大きく賞賛さています。 シンプルで完璧な構図と、美しい姿の裏に秘め
られた官能的セクシャリティーを暗示したイメージは最も人気が高いシリーズです。」
これポスターの広告文なんですが、なかなかうまくまとまっています。
こんな風にコメントできたらいいな。
■ イラストルポ 世界の街 小林泰彦 朝日ソノラマ 19701105 初版
この本と、「若者の街」が、2004年に発刊された「イラスト・ルポの時代」の元本。
読み込まれてジャケットなんてヨレヨレだけど、この本には価値がある。
1968年のハイトアシュベリーやヴィレッジやキングスロードやにどんな店が並んでて、その街を
ピッピーたちがどんなかっこうで闊歩してたかなんて、この本でしかわからないし、ややこしい
文章じゃないこのスタイルがいちばんわかりやすいから。
このイラスト・ルポは、「POPEYE」、「TARZAN」、「GULLIVER」、「BRUTUS」の名編集長だった
石川次郎さんが20代で「平凡パンチ」の編集者だったころ、小林信彦さんの弟の泰彦さんと
編みだしたスタイルで、この本はその連載の単行本化第一号、泰彦さんの初めての本でもある。
「あのころ世界はこんなふうだったんだ。
世界は発見に満ちていた。
ヘイト・アシュベリーはヒッピーに占拠されていた。
強いインド香とサイクデリック・サウンド。
ニューヨークのジャズ・クラブをはしごする。
アイビー・リーガーを探せ!
ロンドンのストリート・ファッション(かわいいお化けたち!)。
サンジェルマン・デ・プレの土曜日の夜。
高田賢三の紹介で三宅一生に会う(ふたりとも無名だった)。
そして、みんなベルボトムをはいていた。」
「イラスト・ルポの時代」のコピーだけれど、このなんともいえない高揚感がシクスティーズなんだ。
■ ケルアック jack’s book ギフォード/リー 毎日新聞社 19980130初版
「路上(On The Road)」は名作だ。
読まなくてももっているだけで HIP な気分にさせてくれる、タイトルもいいし。
ジャック・ケルアック(1922-1969)はビート・ジェネレーションというコトバをつくった人だ。
ただ「ジェネレーション」といっても、それはたぶん実際にはギンズバーグ、バロウズ、そしてこの
作品のモデルであるニール・キャサディといった友人たちとの楽屋話のようなものだったはずで、
それを堂々と「ジェネレーション」と名乗ってしまうところが、アメリカの若者の楽天的というか
C調なところだ(とっても素敵だけど)。
そして世界中がこのケレンにまんまとノッてしまったわけだ。
この本はそのケルアックの評伝、サブタイトルが、「an oral biograpy of Jack Kerouac」だから、
直訳すると「証言で構成する歴史」、証言するのはこの本の初版が出版されたころ(1978)には
生存していたバロウズ、ギンズバーグ、スナイダーといった同世代の仲間たちだ。
そして「外国映画の吹き替えのように」証言者ごとに翻訳者を振りわけたのがこの新装版の趣向。
「ここに集まったのは。生前はいろいろ理由があって本人にほんとうのことが言えなかった人たち
が死者にあてた手紙である。」
放浪、ジャズ、詩、精神世界が彼らビートニクといわれる人たちの価値観のコアで、ジャズをROCK
に置き換えればそのままヒッピーになる。
ビートニクが、ヒッピーに伝えたのは、とにかく既成の概念にまず NO ! と叫ぼうという、「そもそも」
的なライフスタイルだろう。今時代のメインテーマになろうとしているサスティナビリティ(持続可能性)
やオーガニック(有機農業)やエコロジー(生態学)なんていう地球環境にまつわる様々なことは、
すべてここからはじまったんだ。
でも「アンダーグラウンドのセレブリティ」というのは、やはりちょっと自家撞着なんじゃないかと思う。
■ 悼む人 天童荒太 文藝春秋 20081130 第1刷
こういう本はすぐに二束三文になってしまうのが(別に本のせいではないんですが)悔しいので、
単行本で買うことはめったにないんだけれど、本としての佇まいがいい雰囲気だったので、つい。
「永遠の仔」もそうだったけれど、ジャケットに舟越柱さんの彫刻をつかったのは、編集者あるいは
装幀室(あるいは著者本人)の慧眼でしょう。
7年をかけたという書き下ろしの大作、時間をかければいいものができるとは限らないけれど、
いいものは時間をかけないとできないというのもまた真実で。
もちろんまだ読んでいませんが、「全国の人が亡くなった場所を訪れて、悼むという行為を続ける
ために放浪している青年」というのは、好き嫌いは別にして、いかにもこの人らしいストイックな
モチーフだなあと思います。
「On The Road」を現代日本的に翻訳すれば、こんな風になるんでしょうか。
明るくてオープンだったビートニクやヒッピーと比べると、いかにも内省的ではあります。
直木賞作品だったことに、帰ってから気がついた。
*
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