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2008.03.22

smell fishy

okinawa.JPG「正しいこと」ってなんとなくウサンクサイ ( smell fishy )、より正確に言うなら「正しいこと
について語ること」が、かな。

サリンジャーの「ライ麦畑」で、ホールデン・コールフィールドが連発する「インチキ(phony)」
という感覚に近いかもしれない。

風呂では文庫本を読む。

もちろん濡れてもいいように、というのがいちばんの理由だけれど、ペーパーバックならではの
カジュアルな雰囲気が、風呂場での20分に良く似合っているような気がしている。

文庫本はほとんどの場合100円もしくは50円の均一棚でというのが基本だから、その選び方は
単行本を買う場合とは自ずと違ってくる。

単行本を買う場合は、その本を自分の本棚に並べるだけの価値があるかとか、その本にそれだけ
(表記されている価格)の値打ちがあるかとか、けっこう真面目に考えて、ときにはすごく迷って
買ったりするんだけれど、文庫本の場合は躊躇がない。

とにかくその時その場の気分で、何かを感じたら、迷いなくただ買うだけだ。

そしてそれは読む本を選ぶときも同じで、風呂で読む本を選ぶときは無造作に積んである未読の
棚から、その場その時の気分で、適当にピックアップしている。

そんな中にこの本があった、たぶん3ヶ月くらい前に買ったものだ。

□ お金じゃ買えない    藤原和博  ちくま文庫  20010904 初版

「『よのなか』の歩き方」なんていうそれこそ smell fishy な副題のついた本を普段なら買うわけは
ないし、単行本ならたとえ100円の均一棚にあったとしても手がのびているはずがない本だけれど、
データベースを見ると同じ著者の「給料だけじゃわからない」なんていう本もその時合わせて買って
いるから、文庫本ならではの「軽さ」のようなものが、そのときそうさせたとしか思えない。

書かれていることはそれほど悪くない、それはたとえばこんな風だ。

「物欲はもはや消えたなどと、枯れたようなセリフを言うつもりはない。自由な時間に対する欲を
満たすために、どうでもいいものについて、1つずつ止めてみただけだ。それが限りある資源の中で
見えない資産(invisible assets)を豊かに持つ “マインド・リッチ” を目指す近道だと考えているから。」

あるいはこんな感じ。

「現代日本人のライフデザイン観の中心的な価値を問われたら、いったいどうこたえればいいの
だろうか。ホンネのところでは結局 “うまく生きること” あらゆる変化にうまく対応してオイシイ思い
をすることだといえるのではないか。日本の近代史が示してきた典型的な日本人の人生観は、
そのように悲しいくらい合理的な商売感覚の強いものだったように思う。」

外国で生活をした経験のある人らしい合理的視点からなかなか鋭いところを衝いていて、同世代と
いう個人的な興味もあって最初は面白く読んでいたんだけれど、ずっと同じような口調で「正しい
(と彼が思う)こと」を、滔々と語られてしまうと、だんだん辟易としてきてしまって、とうとう最後まで
読みきれなかった。

なんとなく、最近の「自分大好き」な歌詞だらけの日本のポップソングを聴かされているような気分。

そしてふと、この前のエントリーで記した村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」を
読んだときにも同じような気分を味わったことに気がついた。
そういえば斉藤茂太先生の「豆腐の如く」っていうのもよく似た感触だったし。

すごく口当たりはよくて、オイシイもののような感じはあるんだけれど、何かほんとうにリアルな
ものを見聞きしたときに胃のあたりに残るザラリとした感覚がないんだ。

「不良感」とでもいうような気配。

その前に同じように風呂で読んだ田中小実昌さんのエッセイ集にも、同じように「よのなか(この
ひらがな表記も相当クサイよね)」のあれやこれやがたくさん語られていたけれど、この人自身は
「正しいこと」なんてちっとも言ってなくて、でもそのちょっとわかりにくいあれやこれやの中から、
それを読んでいるぼくたちが「正しいと思うこと」を勝手に心に落としていくという感じがあって、
何かしら伝わるもののニュアンスの違いを感じる。
そしてそのニュアンスの違いこそが、実は本として、あるいは芸術としての価値の決定的な要素
じゃないかという気が、だんだんしてきた。

「芸術は、美しくあってはならない」というのは岡本太郎の有名なコトバだけれど、いわゆる「美しさ」
や「正しさ」というのはやはりもともと少しウサンクサイもので、だからこそそれを語ることや描くこと
には(プロとして)細心の注意を払わなければならないし、そもそもリアリティのある真実っていうやつは、
「正しさ」も「美しさ」も関係なく、小実昌さんのエッセイのように、ただただ「 as it is (それがそのように
在る)」なものなんじゃないだろうか。

現在の風呂本は奥田英朗の「東京物語」、小説は面白すぎるのが問題だ。

*

 

少ないながらもけっこう充実したセレクション(だと思っている)、ただの自己満足かな。

□ 横浜的    平岡正明   青土社  19931214 初版

いつも通ってるT書店で、偶然にもこの前のエントリーで取りあげたこの人の本の大量放出があった
らしく、いろんなジャンルにズラリとならんだこの人の本のなかから、かなり熟考してこれを選んだ。

「横浜的」というタイトルが秀逸。

美空ひばりとジャズを軸に据えて、ホームグラウンド横浜そして野毛を縦横無尽に駆け巡る。

□ 写真ノ話    荒木経惟   白水社   20060130 2刷

荒木経惟の写真は、優れて知的なものだと思う。

この本は比較的新しいもので、書いたというよりは語ったと呼ぶのがふさわしいような口述筆記仕様。

自らの写真についてあまり語ることは多くない人だから、この本の江戸弁の口語体での作品解説なん
かを読んでいると、これはこれでけっこう貴重なものじゃないかという気がしてきた。

□ 数と建築    溝口明則   鹿島出版会   20071230 初版

ずっと迷っていた本で、売れてしまったら諦めようと思っていたけれど、ずっと同じ本棚の同じ場所に
あるその佇まいに耐えきれなくなって、ついに買ってしまった。
やはり一度気になると、手に入れるまでその気持ちは収まらない。

新聞書評にも取りあげられていた本で、黄金律はもちろん、建築にまつわる古代からの「比(=幾何学)」
のストーリーが書かれている。

やはりなんといっても様々なピラミッドの比率的解析が焦点でしょう。

□ 100米の観光    田名網敬一+稲田雅子  筑摩書房  19960920 初版

北白川にある京都造形芸術大学の情報デザインコースの講義録。

「見立て」という知的ゲームの概念を、「観光」というコトバでくくって、いろいろな方向からアプローチ
しているのはとても面白そうな趣向だけど、ガキンチョたちにホントにちゃんと伝わっていたんだろうか。

この人のアートワークそのものは、横尾(同い年だけれど)亜流のような気がしてなりません。

□ 穴が開いちゃったりして    隅田川乱一   石風社   20030131 初版

1998年に45歳で亡くなった、サブカル系ライターの遺文集。

自分は美沢さん(=著者の本名)の文章が好きだった、という町田康の序文が泣かせる。

カンで買った本だけれど、出版社も含めて、全体にアングラな感じが濃厚に漂っていて、稀少書になって
いく気配をヒシヒシと感じてしまうのだ。