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2010.04.29

les murs ont la parole

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たまにはこういう本にめぐりあわないと、せっせと本屋に通う値打ちがない。

 

■  壁は語る 学生はこう考える     J・ブザンソン     竹内書店      19690220/第1刷

 

なにげなく均一棚の片隅から拾った本だったけど、刺激的な一冊だった。

 

「壁は語る(les murs ont la parole) 」とは比喩でもなんでもなく、そのまま。
文字どおり、パリの五月革命で壁や路上に書き殴られた落書きの記録集であり写真集だ。
1968年の、あの騒乱の資料としても、おそらくかなり貴重なものじゃないかと思う。

 

B6を横に使ったとても小さな本だが、「政治の季節」の鮮烈なメッセージに満ちている。

 

たとえばそれは、こんな風だ。

 

・想像力の欠如 それは欠如を創造しないことである
・舗石をはぐと、その下は砂浜だ Sous les paves la plague
・禁止することを禁止する。自由は他人の自由を犯すことの禁止からはじまる。
・指が月を示しているとき、愚か者が見るのは指の先だ(中国の諺)
・夢想は現実である。
・俺を解放してくれるな。俺のことは俺がやる。
・現実を欲すること 欲することを現実化すること もっと結構!
・お互いに愛しあえ。さもないと、あいつらにやられてしまうぞ。
・無礼な振る舞いは革命の新兵器である。
・何ものも求めない。何ものも要求しない。奪取するのだ。占拠するのだ。
・少し譲歩することは、多くを妥協することだ。
・言うことから、行為することへと、いかにして移行するか。
・客体(オブジェ)よ、消えてなくなれ!

 

なかでももっともよく知られたのは「想像力が権力を奪う!」というカルチェラタンの路上に残された言葉で、それは世界中に吹き荒れた学生たちの「反乱」の導火線となったこの大きな反乱の本質を言いあてている。

 

まずはイマジネーションを解放し、既成概念を捨ててしまえということだ。

 

彼らが標榜したのは自由と平等と大学の自治。

 

このパリの五月革命や映画「いちご白書」で描かれたコロンビア大学の闘争が、世界中の学生運動に飛び火して、日本でも全共闘運動という反体制活動になり、「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」とか「造反有理」といったメッセージが生まれている。
橋本治の「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というポスターが貼りだされたのもこのころだ。

 

吉本隆明やマーシャル・マクルーハンは、その論理的支柱。
そして、ディランやジョン・レノンや、ゴダールやギンズバーグは、その精神的支柱だった。

 

BGMはやはりこれだろう。

 

□ Street Fightin’ Man   by  The Rolling Stones

Ev’rywhere I hear the sound of marching, charging feet, boy
‘Cause summer’s here and the time is right for fighting in the street,  boy
But what can a poor boy do except to sing for a Rock n’ Roll Band
‘Cause in sleepy London Town
There’s just no place for Street Fighting Man! No!

Hey! Think the time is right for a palace revolution
But where I live the game to play is Compromise Solution !
Well, then what can a poor boy do except to sing for a Rock n’ Roll Band
‘Cause in sleepy London Town
There’s just no place for Street Fighting Man! No!

 

リアルタイムで体験していないだけに、その高揚感には憧れる。

 

結果的には、この若者の反体制のムーブメントは、大人たちの体制(エスタブリッシュメント)を突き崩すことはできなかったわけだけれど、この60年代の学生運動と、ヒッピーたちのフラワームーブメントが造りだしたカウンター・カルチャーの価値観は、僕たちが今生きているこの社会の底を流れている。

 

エコロジーもサステナビリティも自然主義もロックも無党派も、現代社会の良質な概念のほとんどのものが、この時代の若者たちの思想の上澄みにしかすぎない。

 

この一連のムーブメントを、団塊世代の祝祭だったと「総括」することは簡単だけれど、そのコミットメントが積極的であれ消極的であれ、20歳やそこらでこんな激動を体験しているこの世代が手強いのはあたりまえだと思う。

 

無害でコンサバティブな今の大学生には、こんなこと想像もつかないだろうけど、草食系とやらには、怖がってんじゃねえよ、と言っておきたい。

 

*

 

■ 麻薬書簡  W.バロウズ/A.ギンズバーグ   思潮社   1969070/第2刷 ¥2,000
■ たかがバロウズ本。   山形浩生   大村書店   20030428/第3刷  ¥3,500

 

たまたま新版の「裸のランチ」を手に入れてしまったことで、その本も読まないままに、堰を切ったようにこの「麻薬中毒者の天才」の世界になだれ込んでしまった。

 

文学者・俳優・画家、ジャンキーで、ゲイで、甘ったれのスネかじり、さらに「ウイリアム・テルごっこ」で、自分の妻を撃ってしまった殺人者でもある超弩級の無頼。
あきらかに非合法な存在である。

 

それなのに、というか、だからというか、ビートニクのなかではとびきり長生きし(1997没)、ローリー・アンダーソン、カート・コバーン、ミック・ジャガー、デヴィッド・ボウイ、ルー・リード、パティ・スミスといった名だたるロッカーに、尊師なみの敬愛を受けている。

 

松岡正剛は、バロウズのことをこんな風に語っている。

バロウズとは、そういう語られ方をする”存在タントラ”なのである。マントラではない。
誰もが知っているようで、誰も知らないタントラだ。
カリスマなのだろうしカルトでもあろうが、といってそんなこと知っちゃいないという超存在だ。

麻薬書簡は、原題が「 Yage Letters 」、 City Light Books から出版されたものだ。
イエージという最高にハイになれる幻の植物を求めてさまよう南米から、ギンズバーグに宛てた手紙、そしてその7年後のギンズバーグの応答。
バロウズのその南米への旅は、妻殺しで収監された刑務所からの仮釈放中のことで、(つまり、遁げたのだ)しかもお稚児連れだというから恐れ入る。

 

バロウズの麻薬への耽溺は、「裸のランチ」を読めばわかるが、本人は、

 

麻薬を使うのに、はっきりした理由はない。それ以外に何もすることがなくて
麻薬を打っているうちに、気がつくと中毒になっているのだ。

 

と著書「ジャンキー」の序文に記している。

 

また、別のところでは

 

麻薬は刺激のためのものじゃない。麻薬は人生そのものだ。

 

とも述べている。

 

一見、正反対のことのように思えるが、ジャンキーにとってこの二つの概念はまったく矛盾するものではなく、むしろ ON と OFF の真実というべきだろう。

 

「たかがバロウズ本。」は、バロウズ研究の独走者による決定版。

 

本読み人松岡正剛からも、「『たかがバロウズ本』は、いまのところバロウズを知るにはもってこいのもので、かなりの圧巻だ。」と絶賛されていて、「この本を読まずしてバロウズは語れない」という帯のコピーそのままの一冊だ。

 

すべての優れた評論がそうであるように、対象への愛が、底知れぬほど深い。

 

真実などない。何もかも許されている ( by William Seward Burroughs )

 

*

■ フェルメールの眼   赤瀬川原平   講談社   19980528/第2刷 ¥1,600
■ 恋するフェルメール   有吉玉青   白水社   20080210/第7刷 ¥1,400
■ 芸術新潮2000/5 フェルメール あるオランダ画家の真実  新潮社 20000501 ¥600

 

どういうわけかフェルメール。
あまりよくわかっていないけど、なんとなくひっかかってしまった。
まあ「行きがかり」というところか。

 

世界にわずか36点の作品しか残っていないというフェルメール。

 

その36点の作品ひとつひとつに附された赤瀬川さんの解説を読みながら、350年も前に描かれた「風俗画」を眺めていると、何ともいえない不思議な気分になってきて、この寡作の画家が世界中の人を魅了するのがなんとなくわかってきた。

 

じっくりと見たのは初めてだが、こんな柔らかい光に包まれた絵を見たことがない。

 

NHK的に分析すれば、いろんな原理がわかってくるのかもしれないが、そんなことが余計なことに思えるような、「リアル」や「気配」に満ちていて、たぶん本物を目の当たりにすれば、間違いなく息をのむだろう。

 

「神秘的な、奇跡を見るような感銘を受ける。あり得ないものがそこにあるという感じ」

 

「カメラができる前の『写真家』である」と、冷静で、緻密で、光学的な、その構図や
レンズのような視線を実証的に分析したうえで、赤瀬川さんは、フェルメールの絵画
全体の印象をこのように言っている。

 

「あり得ないもの」だからこそ、人を惹きつけるのだ。

 

そして、その奇跡につかまり、フェルメールに「恋する」のが、有吉玉青。

 

世界中の美術館で所蔵されている36点の(「合奏」という作品は、1990年に盗まれて未発見なので、実際には35点)フェルメールを巡る旅をエッセイにしたものが、この「恋するフェルメール」。

 

表紙に使われている「真珠の耳飾りの少女(ターバンの娘)」のインパクトが強くて、思わず手にとってしまったが、この神彰有吉佐和子との間に生まれたエッセイスト/小説家の旅行記は、フェルメールという稀有な画家に魅入られた女性の心の動きが素直に描かれていて、思っていたよりカジュアルだった。

 

作品のカラー写真がないのは残念だが、それは、絵は見るもんじゃなく美術館に見に行くもんだよ、という彼女のメッセージなんだろう。

 

「絵は記憶できない」と彼女は言っている。
だからこそ「いつも新鮮な気持ちで絵を見ることになった」とも。

 

こんな風にひとりの画家のことを考えるのは、ずいぶん久しぶりだ。
もちろん、絵画だから見ることがすべてだが、言葉でしかわからないこともたくさんある。

 

フリークがいても不思議じゃない。

 

その他、春たけなわの本買い

■ 日本のよさ   吉田健一   ゆまにて出版   19771010/初版 ¥900
■ アメン父   田中小実昌   河出書房新社   19890420/再版 ¥1,500
■ 美の旅人   伊集院静   小学館   20050520/初版第1刷 ¥2,200
■ アメリカ「60年代」への旅   越智道雄   朝日新聞社   19880320/第1刷 ¥600
■ 家をつくることは快楽である   藤森照信   王国社   19981130/初版 ¥1,100
■ 墨東綺譚 復刻版   永井荷風   岩波書店   19900119/第1刷 ¥2,700
■ 闇のなかの黒い馬   埴谷雄高   河出書房新社   19701020/再版 ¥1,200
■ SPACE reshaping your home  Fay Sweet   Conran Octopus  1999 ¥1,200
■ 広告批評の橋本治   橋本治   マドラ出版   19950325/初版 ¥1,200
■ ちゃあい   松山猛   風塵社   19950922/第1刷 ¥1,000
■ 花と日本人   和歌森太郎   草月出版   19750428/初版第1刷 ¥3,200
■ ささやかだけれど、役に立つこと  レイモンド・カーヴァー/村上春樹訳  中央公論社  19891203/   ¥600
■ モダン・アートの哲学   ハーバート・リード   みすず書房   19920715/第2版第2刷  ¥1,800

 

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music station  for over 45 – FM COCOLO

いかにもなところもあるけれど、FM はこれがホントの姿だろう、大人の radio 。

 

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his master’s choice – 晶文社の30冊」 に続く第二弾、「コトバノイエの旅の本」が進行中。
近日公開予定です。

 

http://kotobanoie.com/