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2008.05.29

growing richer with age

ruins.JPG
遠くにいるはずの写真家が一陣の風のように現れ、撮影の合間だからと颯爽と立ち去った。
そして残されたのがこの素晴しい写真集だ。

■ 廃墟チェルノブイリ        中筋純       二見書房       20080426 初版
フォトグラファーの眼の凄さ。
廃墟と化した22年後のチェルノブイリ(正確にはプリピチャチの街)を、ジャーナリスティックな
功名心や、センチメンタルな感傷に流されることなく、プロフェッショナルな写真家の透きとおった
カメラ・アイで、静かに、そして美しく捉えている。
「写真というのは見えないものを写す作業だ」と中筋さんはこの本の中で言っているけれど、
被写体とカメラの間の濃密な空気感が、そこには確かに映しとられていて、見えるはずのない
放射能を感じ、身震いしてしまうほどだ。
人はひとりも写っていないのに、彼が撮った写真のひとつひとつの光と影に、凍りついた石棺
のような原子炉にさえ、さまざまな人間の生や死が視えてくる。
写真家は、きっとこの荒涼とした景色の中に、たとえようもなく大きくて、そしてじつはとても優しい
自然の力(それを神と呼んでいる人たちもいるが)のリアリティを体感していたに違いない。
それにしても、朽ち果てた原子力発電所の街は美しい。
不謹慎かもしれないが、たとえようもないくらいそれは美しいのだ。
そしてそれはまぎれもなく、彼がこの廃墟に美の存在を感じているということに他ならない。
文字どおり「真」を写すのが写真というものの radical な役割だとすれば、この「美しさ」こそが、
「廃墟チェルノブイリ」という写真集の本質じゃないかとさえ思う。
「廃墟は人間にリアルを突きつける刃のような存在だ」と中筋さんは preface で語っている。
そしてこのチェルノブイリこそは、地球上のどの場所より廃墟と呼ぶにふさわしい。
美の中にリアル(真)を視ることは人間の本性のようなものだし、発見し命名することは美学の
はじまりだから、人間がつくった構造物の荒廃が「廃墟」と名付けられたときから、それはすでに
「美」を内包していたといってもいいんじゃないだろうか。
アクロポリスもアンコールワットも桂離宮も、考えてみればみな廃墟なのだ。
あるいはぼくたちが生きているこの街も、廃墟になりつつある場所といってもいいのかもしれない。
流れる時間の濃淡は、生きているものに測る術はないけれど。
*
置き去りにされたこの街の写真に触発されて、” patina ” というコトバが浮かんだ。
ソニー/エリクソンのデザインチームの制作する次世代携帯のキーワードで、携帯電話の素材を、
チタンやステンレスといったハードで変化しにくいものではなく、むしろ使用するうちに美的に変化する
ようなものにしたらどうだろうかという試案だった(「デザイン・ウォーズ」 NHK special  2007/07/23)。

廃墟とはまったく逆の経年変化だ。

もともとの辞書的な意味は「緑青」「使いこまれた器具の表面のつや、古色」「表面につけられた風格、
品位」、つまり古さ(旧さ)がもつ味わい、経年変化の愉しみ。
古典的な日本の美の概念でいうと、「侘び寂び」ということになるのかも知れないけれど、patina という
コトバにはもう少しクリエイティブなニュアンスを感じる。
フランク・ロイド・ライトがこんなことを言っている。
「雨が降るたびに繰返し洗われ、太陽を受けて温もり、時を経ても、それによって煤けてみすぼらしく
古ぼけることなく、かえって豊かさを増していくような建築が、ないものだろうか。」
建築の素材としての煉瓦やテラコッタの水平の目地について述べた文章の中でのことである。
これが patina なんだ。
そしてこの概念が、この時代のデザインや way of life に示唆するものはとても大きいと思う。

建築だけじゃなく、すべてのプロダクツが必ず直面する「陳腐化」への、ひとつのオルタナティブ。
使えば使うほど品が良くなるもの、キレイに使い込んだものを美しいと感じる感性。

気に入ったものに手を入れながらできるだけ長く使い続けることが、サスティナビリティの要諦だと
すれば、なんとなく日本人の心の奥底にごく自然にある美意識じゃないかっていう気がしないでも
ないこの patina というコンセプトを、片隅であっても意識することが、とても大切になってくるんじゃ
ないだろうか。
この前のエントリーの藤本壮介さんのコンセプトで、少し物足りなさを覚えたのは、この継続性という
ことに対する表明がなかったことがその理由じゃなかったかと、今になって思う。
「原初的な未来の建築」も、経年変化に耐えなければホンモノじゃないからね。
そんなことを想いながら、ふたたびこの写真集をぼんやりと眺めていると、裏表紙のぼやけた放射能
マークが、一瞬、ムンクの「叫び」に見えた。
怖っ。