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2008.11.22

everything reminds you of something

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小説を読みたいと思った。

年齢のあまり違わない知己の唐突な死や、ステージ4/余命2年と宣告されたという遠縁のことが重なり、
目の前の「死」というものにたいして、たとえば余命を宣告されたその人になにか本を届けようと考えたとき、
それは決して闘病記のようなノンフィクショ ンではなく、小説、それも時代を超えて読みつがれてきた
古典といわれる作品じゃないかと思ったからだ。

リアルな死を前にすると、ひょっとしたら「祈り」ってやつが唯一の救いなのかもしれないけれど、
「阿弥陀仏」や「Amen」ではなく、クラシックとよばれている文学作品(=本)や音楽や絵画といった、
人が表現したものの中にこそ、生きることをポジティブに感じさせるパワーがあると、信じたい。

とはいうものの、あらためてそれが何なんだと考えると、正直なところよくわからない。

わからないままに本棚をさまよい、このタイトルにいきあたった。

■ 何を見ても何かを思い出す   アーネスト・ヘミングウェイ    新潮社 19930910 1刷

― I guess everything reminds you of something

それはほんの10分足らずで読みきれるスケッチのような掌編で、息子の小さな裏切りのエピソードを
シンプルな文体で綴ったモノローグだけれど、ひとの心のなかに否応なしに去来する空白(void)を
過不足なく、しかも繊細に描ききっていて、上質の文学だけがもっている抽象力があった。

一読するとそれは苦い記憶の物語のように思えるけれど、読み終えてしばらくたつと、
ヘミングウェイが巧妙に、愛するものの不在(=死)というテーマを潜ませていることに気づく。

remind = re-mind

思い出させるこころ。
すべてのものがあなたに何かを思い起こさせる。

こうやって書きながら気づいたことだけど、死とは「ここにいない」ということだ。

あたりまえのように在ったものがある日突然どこかに消えてしまったとき、
遺されたすべてのものが、何かを思い起こさせる。

残されたものは、遺されたものによって、あなたが「ここにいない」ことに気づく。

そう考えると「ここにいない」ことは、それほど淋しいことじゃないのかもしれない。

if something of me reminds you of something once in a while,

それが旅であろうと、死であろうと

Memento mori

 

*

 

■ Abstract Reality    デニス・ホッパー   光琳社出版  19980903 初版

デニス・ホッパーが写真集をだしてるなんて知らなかった。

「抽象的現実」、立体を映しているのに絵画のように平面的な写真たち。

Nikon28mmによる見立て。

まるで抽象画のような60葉の写真を、ホッパーは「禅のタブレット」といっている。
サービス精神の旺盛な役者のことだから、それはおそらく日本版に向けたメッセージだろうけれど、
静謐ともいえるその画像には、表現者としての自信のようなものが見てとれる。

撮ることも撮られることも同じアートなんだよ、なんて嘯いていそうだ。

できれば実物のその「tablet」を、オリジナルサイズの 14 x 9 inches で見てみたい。

多才。

■ 半眼訥訥    高村薫   文藝春秋   20000230 第1刷

笑わない人高村薫初のコラム集。
まだぜんぶ読んだわけじゃないけれど、目次を眺めているだけでちょっとウレシくなった。

文庫化にあたっての大改稿の秘密。
「家のつぶやき」というタイトルで一章を割かれた住宅論。
わたくしのなかの大阪と題する大阪弁論。
ルポルタージュ、そしてブラームスについて語ったエッセイ。

小説という緊張感のある舞台からこぼれ落ちた高村さんの「素」が垣間見えそうで。

読めば止まらなくなる、たぶん。

硬派。

■ 輝く日の宮    丸谷才一   講談社   20030610 第1刷

日本語の人の日本小説、2003年の朝日賞・泉鏡花賞受賞作。

「輝く日の宮」というのは、源氏物語の「桐壺」と「帚木」の間の失われた幻の一帖だそうです。

この本では女性国文学者を狂言まわしにして、源氏物語はもちろん、古今集、芭蕉、武蔵、学会など
日本文学や日本にまつわる様々な考察があり、あげく最後の章ではこの幻の一帖を自らが書き加えて
しまうところまで白熱、また、この本の7章のすべてを異なる形式、文体で描くという超絶技巧も見どころ
(読みどころ)のひとつでしょう。

エッセイであれ書評であれ小説であれ、よく推敲されたこの人の語り口には、成熟した大人の味わい
のようなものを感じます。

やはり文体こそが文章家の命なのかな。

軽みのあるエッセイが、個人的には好みです。

円熟。

■ 傷みのシャンデリア    草間彌生   ペヨトル工房   19890110 初版 

79才現役、75才のヨーコ・オノとはきっと仲が良くないだろう。

貌はひたすらこわい、岡本太郎クラスの眼力。

実際の作品は直島の黄色い水玉カボチャ「南瓜」くらいしか観たことはありませんが、その印象は鮮烈。
モチーフによく使われる網の目や水玉の集合は、子供の頃から日常的に見えるものだったということ
ですから、なにか違うものが視えている異形の人としかいいようがありません。

「赤や緑や黄の水玉模様は地球のマルでも太陽のマルでも月のマルでもいい。形式や意味づけは
どうでもいいのである。人体に水玉模様をえがくことによって、その人は自己を消滅し、宇宙の自然に
かえるのだ。」

ペヨーテが由来というインディ出版社から発刊されたこの小説、気配からするとSMをモチーフにした
pornographic なラブ・ストーリー、「昔、ボニー&クライド。いま、ギンコ&トミー」なんていう
いかにも80年代的なコピーが帯にありますが、もちろんご本人や小説の内容とは関係ありません。

異才。

 

*

 

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