承前
やはりプライスにすべてを語らせなければいけない。
もちろんもともとの定価といういちおうの目安はあるし、古本としての相場もマーケットの原理の中で
なんとなく決まっていくものかもしれないけれど、実はそういったもろもろの要因に関係なく、売る人が
自由に決めていいんだよ、というのが古物という定価が存在しない商品のルールで、セレクションが
本屋のコアであることは間違いないとしても、スペックやコンディション以外のことで、その本にこめた
売り手の様々な想いを、シンプルに発信できる唯一のメッセージが、この「プライス」だ。
買ってほしいという願い、売りたくないというエゴ、安すぎるかもしれないという欲、高すぎるかもしれないという迷い、そういった気持ちが振り子のように揺れて、止まったところ。
ブックオフが成功したのは、そしていまだに本好きから古書店としてなかなか認知されないのは、そう
いった情緒的なプライシングを排して、定価の半額と105円だけ(店舗によってはもう少しバリエーション
があるみたいだけれど)という即物的な、ある意味とてもわかりやすいメッセージを消費者に発信した
からだろうけれど、やはりそれでは面白くない。
ちょっとアナクロなイメージかもしれないけれど、プライスというものを介して、売り手と買い手の価値観
が火花をちらすというのが、この不確かな商品のあるべき姿だし、それは古書店の現場でも、amazon
やヤフオクのようなインターネットの画面でも同じことなんじゃないかと思う。
植草甚一さんが、古本についていた値段をケシゴムで消して、勝手に書き直し(古本の値段は鉛筆
で書くのが正統派古本屋の流儀なのです)、こんな本はぼくしか買わないんだからこれが適正価格
なんですと嘯いたというのは有名なエピソードで(本買の場面ではときどき同じことをやってしまいそう
になることがあるんですが)、このきわどい虚々実々こそが、古本の醍醐味じゃないだろうか。
680円と700円とでは違うんだ、明らかに。
だからこそそれを決めるときには、少し胸がふるえる、iPhoneのアイコンのように。
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ニール・ヤングの「Heart of Gold (ジョナサン・デミ監督)」という映画を見ていたら、エミルー・ハリス
がインタビューを受けていて、ナッシュヴィルのライマン・オーディトリアムというステンドグラスの美し
いホールの側に建ったビルディングに対して、あんな醜悪でしかも美しいものを台無しにしようとする
ものを取り締まる “artistic police”があったらいいのにと語っていた。
邪魔な電信柱やプロバンス風建売住宅やニヤケ笑いの橋本徹大阪府知事やナンミョー悪代官冬柴
国土交通大臣などを、artistic police に即刻逮捕していただきたい。