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2009.07.07

cat and justice

hip.JPG

家族がふえた。

といっても結婚したとか、子供ができたなんていう話ではなく、猫がやってきたのだ。

kitten と cat の間くらい、生後1年の牝猫、名前は HAL(ハル)。

20年を一緒にすごした猫が、一昨年亡くなって、その猫の気配があるうちはなかなか別のペットと
暮らす気がしなかったんだけれど、あることで近くにアニマル・シェルターがあることを知って、
その気になった。

Animal Refuge Kansai = ARK 、 能勢という大阪北部の山の中にある動物保護のNPOだ。

スタッフの人たちの笑顔が印象的。

このNPOの主宰は Elizabeth Oliver さんという英国人、1990年にこの ARK を設立し、
この ARK のある山里で田園生活をおくりながら、500頭以上の犬や猫たちと暮らしていらっしゃる。

お会いして少し話をしたが、にこやかでいい感じの方だった。

1965年から日本に住んでいるということだから、60’s のコミューンの洗礼を受けているわけじゃ
ないだろうけど、日本に限らず、あるいは動物愛護に限らず、世界中のあちこちで、
こういうチャリティー(慈善)をやっている人たちには、どこか共通の雰囲気があるように思う。

女性が多いこと。
独身か、あるいはご主人がひっそりと彼女をささえている。
見た目の特徴はショートヘア、ノーメイク、そしてナチュラルファッション。
自分の信条にラジカルであること。

なんとなくヒッピー的なライフスタイルの匂いがしませんか?

もちろんそれはそれだけの話で、だからどうということもないし、そういう人たちと過ごす時間も
とても楽しいものだけど、いつもなんとなく不思議な感じることがひとつある。

Why are they doing such a right thing with no doubt ?

キリスト教的な愛? 正義感?

グリーン・ピースと(そういえば昔 save the whale  を合言葉にして、ジャクソン・ブラウンや
ジョン・セバスチャンが来日した、ローリング・ココナッツ・レヴューなんていうバカ騒ぎがあった)
エリザベスさんとはどれくらいの距離があるんだろう。

正義というのはとてもやっかいな概念だと思う。

ジョージ・ブッシュも鳩山邦夫も、自分の正しさを主張するために正義というコトバを口にした。

司馬遼太郎さんはこんな風にいっている。

正義という人迷惑な一種の社会規範は、幕末以前に日本にはなかったといっていい。
言葉も、幕末に日本語になった。たとえば長州藩で反幕派が自派を正義党とよび、佐幕派を因循党とよんだ。
正義という多分に剣と血のにおいのする自己貫徹精神は、善とか善人とかとべつの世界に属している。
筆者などは善人になれなくてもできるだけ無害な存在として生きたいとねがっているが、正義という電球が
脳の中に輝いてしまった人間は、極端に殉教者になるか、極端に加害者にならざるをえない。
正義の反対概念は邪義であり、邪義を斃さないかぎりは、自己の正義が成立しようもないからである。

別にエリザベスさんが、正義を口にしたわけではないし、彼女が ARK でやっていることは、
そんなこととは全く関係のない、彼女にとってはごくあたりまえの日々の営みなのかもしれないけれど。

ただの妄想といってもいいような雑感である。

HAL は、猫舎で独り佇んでいた。
子供とはいえない年頃だから、成猫の小舎に入れられ、周りの大人猫たちから孤立していたそうだ。
HAL は、初めて会ったときにすでに HAL だった、「春」なのかもしれない。

 

*

このごろの本買記。

■ ゴーガン私記 アヴァン・エ・アプレ   ポール・ゴーガン   美術出版社   19860730 第2刷

竹橋の東京国立近代美術館でゴーギャン展が開かれている。

この展覧会の目玉は、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という大作だ。

本邦初公開。

瞬間に於いて捉えられた音楽、立ち止まれと命じられた刹那がここにはある。
その意味で、これは壁画であって絵巻物ではない。刹那であって流れ行く時ではない。
( by 福永武彦「ゴーギャンの世界」1961)

別にそれに合わせたわけじゃないけれど、この before and after と名づけられたゴーギャンの手記。
これが2冊目で、すでに売れた最初の本は1970年発行のオリジナル初版だったけれど、
この本はその改訂版、装幀や造本も改訂されている。

この本ともう一冊の自筆(書簡集)「タヒチからの手紙」、そして福永武彦(池澤夏樹の父上だ)の
「ゴーギャンの世界」、ゴーギャン本ならこの3冊で必要にして充分でしょう。

それにしても、タヒチとマルキーズ、南の島で、ゴーギャンは何を視たのか。

彼がタヒチで描いた絵画には、神話の匂いが漂っている。
その色彩やタッチには、人間が自然の一部であるということの、深い理解があるような気がする。

或る作品に於ける本質的なものとは、正確に「表現されていないもの」の中にある。
色彩は音楽と等しく振動であり、自然に於ける最も茫漠としたもの、その内部の力から出発して、
最も普遍的なものに到達することが出来るのだ。( by Gauguin )

実物が見たい。

 

■ 眞木準コピー新発売     眞木準    六曜社   19931209 初版
 
6月22日に亡くなった名コピーライターの最初の作品集、コピーの教科書という人もいる。

土屋耕一さんのあとを受けた(それだけでも相当な勇気だ)伊勢丹やサントリーや全日空の80年代。

もちろん的確なアート・ディレクションがなければ、どんなコピーも活きてはこないものだけれど、
ヴィジュアルではなく、コピーが広告をリードした時代があって、眞木準はその中心の一人だった。

私は、広告の文章という形式で、企業や商品から読者へのラブレターを代筆することを、
正確にいうと、二十二年間続けている。

自分の職能に対するこの的確な把握。
このように自分の仕事を端正に表現できるひとはそれほど多くない。

恋を何年、休んでますか?

あわただしすぎるランナーは、道端の花さえ見えない。
いそがしすぎるファイターは、夢さえ見ない。
あなたの中で、もうひとりのあなたが冬眠しています。
そろそろ、誰かに、特別な好印象を与えるドレスを
ひとつ、どうですか、伊勢丹で。

一篇の詩のようだ。

広告コピーの完成度のモノサシは、その言葉に普遍性あるいは真実性があるかどうかだと思う。
上のコピーでいえば、それは、べつにドレスでなくてもいいし、「伊勢丹」がなくても美しい。

そして、プロはさらに「ゆるさ」のことを考える、デザインすべてにおいていえることだけど、
出来あがりすぎてスキのないものは、けっきょくつまらないからだ。

■ 映画辛口案内     ポーリーン・ケイル   晶文社   19900731 初版

サブタイトルが「私の批評に手加減はない」、「辛口」に重ねてこれは明らかに too much 。
原題は「State of the Art」= 技術の現状 という、きわめてインテリジェントなものなのに。

「歯に衣きせず斬りまくる」というのが、この New Yoker の人気批評家の持ち味には違いないし、
確かに「手加減」なんてしていないけれど、あまりにもベタすぎる。

愛がなければ批評は成立しない。

小林信彦さんが絶賛しているように、彼女には映画がちゃんと見えているだけで、好きも嫌いもない。
映画はとても素晴らしいものだけど、いい作品もあれば、あまりよくない作品もあるに決まってる。
自分のアンテナを信じて、それをそのまま、しがらみなくストレートに読者に伝えたいだけなのだ。
それが批評のあるべきカタチだろうし、根底に映画への愛があることをその文章に感じるからこそ、
いくら「辛口」であっても、ニューヨーカーたちは、ずっと彼女を支持してきたのだ。

この本では、80年代前半の、少し懐かしい88本(原著は117本)が取り上げられている。
2段組み、438ページ、1100枚の大著、訳者(浅倉久志氏)の労苦がしのばれる。

1983 フラッシュダンスX / 卒業白書X / ライトスタッフ○ / スカーフェイスX
1984 インディ・ジョーンズ○ / スプラッシュ○ / ストップ・メイキング・センス◎
1985 バーディー△ / 細雪○ / カイロの紫のバラ○ / ランボーX

あとがきに面白い話があった。

アメリカの映画批評に、good bad movie と bad good movie という言い回しがあるらしい。
いかにもアメリカらしいプラクティカルな表現だ。
good bad movie は、良くできた娯楽映画、bad good movie は、ダメな芸術映画といった感じか。

ケイル女史は、もちろん good bad movie が大好きで、bad good movie にきわめて厳しい。
良心の衣をかぶった偽善や、芸術を建前とした独善には、まったく「手加減はない」のだ。

まあラジカルな愛すべきバアさんということなんだろう、年寄りは無敵だから。

■ MONGOLIE Reve d’infini   Michel Setboun  Martiniere 20060209 

本棚から呼ばれた。

「モンゴル – 永遠の夢」と題された、ナショナル・ジオブグラフィック的な写真集。
A4版より少し幅の広い判型に、草原に佇むパオの遠景を端正に捉えた表紙がとても美しい。

写真家の名前も聞いたことはないし、フランス語だから、どんなキャプションが付されているか
まったくわからなかったけれど、その本を手に取ってパッと開いたときに表れた密教的な仮面の
クローズアップが目を捉えた。

つい先日買った「変幻する神々 – アジアの仮面」という本に、同じような写真が掲載されていて、
頭の中で、その時一瞬それがフラッシュバックしたのだ。

いい本との出合いはたくさんあるけれど、それをレジにもっていくかどうかは、一瞬の呼吸だ。

この本が今ここにあるのは、その仮面の写真に coincidence を感じたからだ。

そんな「つながり」や「偶然」に身をまかすことが、本買のひとつのアレじゃないかと実感している。

and so on,

■ 三々五々     谷川俊太郎    花神社    19770630 初版第1刷

■ 古本的     坪内祐三    毎日新聞社   20050530 初版

■ ストリートワイズ     坪内祐三    講談社文庫   2009041 5第1刷

■ 地球のはぐれ方 東京するめクラブ     村上春樹    文春文庫  20080510 第1刷

■ 高丘親王航海記     澁澤龍彦    文藝春秋    19890530 8刷

■ 妹島和代読本 1998     妹島和代    ADA Edita Tokyo   19980223 初版

■ ニューロックの真実の世界     植草甚一    晶文社   19780420 初版

■ 回転木馬のデッド・ヒート     村上春樹    講談社   19851015 第1刷

■ 休日のブランチ     阪急コミュニケーションズ    20090101 初版

■ 風さわぐ – かなしむ言葉     岡部伊都子    新潮社   19640320 初版

■ ノルウェイの森 上・下     村上春樹    講談社   19870910 第1刷

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最近追加した「デザインの発見」のブックリスト。
 

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