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2007.12.15

and life goes on

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物語はどこにでもある。

10年、10万キロストーリー。  金子浩久  二玄社  19920810 初版2刷

「NAVI」という自動車雑誌で長く連載されているインタビュー形式のコラムが単行本になったもので、
一台の車を永く乗り続けた人たちと、そしてその人たちに愛されたクルマの物語だ。

この連載がはじまった頃の「NAVI」は、家具やファッションと同じようなライフスタイルの表現としての、
あるいは文化的なアイコンとしてのクルマというものを強く意識した唯一の自動車雑誌だった。

編集長は鈴木正文。
今は「ENGINE」という自動車雑誌を主宰する鈴木氏が率いていたこの頃の「NAVI」は、松本葉の「愛し
のティーナ」などにも活写されているように、「仕事しなくても何も言われなかったし、仕事をしても
何も言われなかった。それぞれが自分の興味があるテーマを取材して、原稿を書き、記事を作っていた。
社会の中にあって個人の興味や嗜好が制度や組織を超えたところにある」というリベラルな空気の中で
造られていた雑誌で、彼が去ったあとの「NAVI」と、そのあと彼が創刊した「ENGINE」をみると、雑誌
というものが編集長のキャラクターそのものだということがよくわかる。

この「10年、10万キロストーリー。」のインタビュアー/筆者もそんな雰囲気の中で、きっとこの企画
を思いつき、そして実現したに違いない。

モデル・チェンジという陳腐化のマーケティングに馴らされてしまった自動車(使い捨て)大国日本の
ユーザーのなかには、クルマって10万キロも走るの?とか、10年も同じクルマに乗るなんて、とか
思っている人も少なくないけれど、気に入った道具を長く使い続けるというのは、まさに生き方のスタ
イルといってもいいようなことで、クルマだけに限ったことじゃなく、そもそもモノを手に入れる時に
ほんとうに気に入ったものを、自分のモノサシで選ぶというところからしか始まらないことだ。

確かに旧いクルマって手もかかるだろうし、少しは気もつかってやらないとうまく走ってくれないことも
あるかもしれないけれど、一生懸命自分の頭で考えて選んだものだからこそ、そういったことのひとつ
ひとつが、コミュニケーションと感じとれるようになってくるんだと思う。

人とモノとのつきあい方はさまざまだけれど、この本に登場する10年10万キロの、けっしてマニアとは
いえない市井の人たちとその愛車の表情は、気の合うパートナーと出会って思い出を重ねてきたことの
充足感に溢れていて、クルマのある生活の豊かさを感じさせられる。

ほんとうのサステナビリティっていうのはこういうことなんじゃないかと思ったり。

*

■ 路上觀察學入門   赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊編  筑摩書房  19870620 9刷

デュシャンは便器を展示して、現代芸術には作家のサインにしか根拠がないんだと暴露したけれど、
赤瀬川原平さんの「超芸術トマソン」は、自己表現が消滅したところに作品性を感じとるというもので、
これはもう「アートの解脱」といってもいいくらい別の宇宙です。
「美とは、それを観たものの発見である」という茶の世界の「見立て」の美学にも通底しているようです。

この「路上観察」は、その「トマソン」の原点といってもいい遊びで、今和次郎の考現学を基底にして、
この本では今は建築家になってしまった藤森照信さんが縦横無尽に活躍しています。
でも何といっても赤瀬川原平、シュールリアリストの片鱗を残しながら、飄々と、でも少しひねりながら
鋭くいろんな物事を語れるのはやはり才能でしょう、芥川賞作家でもあります。

■ 後ろ向きで前へ進む   坪内祐三  晶文社  20020910 2刷   

1958年生まれの本読み人、坪内祐三が2002年に著した1979年論。
「病的なほどに本屋が好きな人間である。」というところには激しく共感するし、植草甚一に始まって
福田恆存とジャイアント馬場を経由して東京堂書店というこの本の流れも悪くない。しかも菊池信義の
装丁で晶文社からというところもけっこうピンポイント。
でもなんとなく手放しで食らいつくことができないのは、微かにただよう「オタク」的な匂いの故か、
はたまた昭和33年という生年の故か、いずれにしても、それは彼のせいではありません。
ポイントはやはり「HIP」がそこにあるかないかでしょう。
 
■ アートトップ   November 2006   新装第1号

「眼のちから」という特集で、青山二郎・千利休・樂吉左衛門など。
「のめりこむアート人の雑誌」というサブタイトルがかなり恐ろしいですが、内容はOKです。
のめりこみはしませんが。

*

今日買った単行本はすべて定価が1600円だった。

これって何かを暗示してるんだろうか。