イツノマニカ。
1.
じつははじまりがどんな風だったのかよく憶えていない。
「本買記」というブログを書き始めたのが2007年9月7日ということになっていて、たぶんそのころにはなんとなくはじめていたはずだから、もう6年も本屋をやっていることになる。
もちろんそんなに深い思慮があったはじめたことじゃないけれど、ウェブサイトをつくり、名刺をつくり、古本屋ですと宣言した瞬間に、それまでグズグズと胸の中でわだかまっていた50代の屈託のようなものがすうっとなくなり、解放感に満たされたことはいまでも身体が憶えている。
この50代の屈託っていうのはちょっとやっかいなものだ。
人生のカウントダウンみたいなものに否応なしに直面させられて、こんなはずじゃなかった自分、あのときあの選択をしていなかったらもっと違う今があったんじゃないかと、ここにくるまでに諦めざるを得なかったことが澱のように心のなかに沈殿して行き場をなくす。失われたチャンス、愚行、失敗、罪、後悔、諦め、ともすれば「鬱」になりそうなくらいに。
そんなタイミングで、それほど重い決断をせずにこの本屋をはじめられたのは、今からおもえば天啓としか言いようがない。
こんな風に書いている。
まずは474冊のブックリストからのはじまり。
「コトバノイエ」という家造りのプロジェクトがこんなところまでくるなんて想像もできなかったし、少し前までは思ってもみなかったことが、こうやって現実になってしまっていること自体すでにかなりシュールなことだけど、この小さな試みがこれからどういう風に進んでいくのかとても楽しみだ。
なによりも、このコトバノイエの本棚を通してなにか新しい出会いのようなものがあれば、と思う。
今はただ、世の中の人すべてに、どうぞよろしくお願いしますと、伝えたい。
とりあえず、乾杯 !
( 本買記 “in the beginning” – 2007/11/25 20:59)
そして、はじめてから、いろいろと考えた。
ほんとうなら、はじめる前に考えなきゃいけないことを、いろいろと考えた。
2.
たとえば、自分のものを売ってお金に換えるというその行為について。
BOOKS+コトバノイエという古書店のストックはじぶんの蔵書、つまり自分が気に入って買った本ばかりだ、もちろん、まだまったく手をつけてない本もたくさんある。商品としてそれを販売するっていうことは、あたりまえのことなんだけど、そういう本たちが自分の本棚からなくなっていくってことで、いざ始めてみると、そのこと、つまりその喪失感をうまく嚥下できない自分がどこかしらにいることに気がついた、別に売らなくても困るわけじゃないんだし。
そのときのもやもやした気分と、ちょっとした覚悟をこんな風に綴っていた。
売ることのフォームが、まだよくつかめない。
本を選びそれを買うことはいままでもずっとやってきたことだから、手のうちに入っている。
でもその本を「売る」、しかもまったく知らない人のところへ届けるなんていうことは、未体験ゾーンの出来事で、実際にことが始まって見ると、本との距離のとりかたがよくわからず、なんとなく ambivalent な気分のままに、これもいい本なんだけど、などと呟きながら、梱包し、メールを返し、本を送っている。
もともと売るために買った本じゃなく、自分が気に入って買った本ばかりなんだから手放したくないのはあたりまえといえばあたりまえ、でもそういう執着心は、古書店の看板を揚げた時点で割り切ったつもりでいた。どうしても手放したくない本はブックリストに載せなければいいんだから、なんて思いながら。
でもやっぱりそれでは面白くない。
こんないい本があるんだよって伝えることがこのブックストアの真意だし、ほんとうは「売ってもいい」本に売る価値なんてないんだから。
一冊一冊の本をそういった想いをこめながらセレクトすること、そしてそれを惜しみなくリストアップすること、そこからしかホントの愉しさは生まれてくるわけはないし、それを続けることでしか、ブックストアとしての正しいフォームは固まらないと、あらためて覚悟する。
本を「売る」のではなく、気持ちをこめて本を選び、それをひたすら並べるだけなんだ。
(本買記 ”dig where you stand” – 2008/01/19 00:59)
ブログではけっこう颯爽と書いているが、じつはこのことにすっきりと折り合いをつけることができたのはつい最近のことだ。
ひとつは、それまで意識して考えたことのなかった「どうしても手元に残しておきたい本」というものをセレクトして、” kotobanoie permanent collection ” としてプライベートな置き場所をつくったこと。
そして、それよりも大きかったのは、それまでけっこう積極的にやってきていたYahooやAmazonといったインターネットのポータールサイトからの販売をやめたことだ。
そもそも自分の家で appointment only (予約制)なんていう酔狂なやりかたで本屋をはじめたのは、どうしても本を売りたいということではなく、自分が選んだ本を通じてなにか新しい世界が見えてくるかもしれないという想いからだった。
そして同時にインターネットのマーケットに出品するということを始めたのは、商いの看板をあげた以上、どんなカタチであれ日々お金の動きなければ面白くなんじゃないかと考えていたのがいちばんの理由で、そのときにはそれ以外にまったく手がかりがなかっただけだったんだけれど、少ないながらも本を見に来てくれる人たちがポツポツと現れて(もちろん最初は知り合いばかりだったけれど)、本屋としてその人たちと接しているうちに、そういうお客さんとのコミュニケーションこそが自分の求めていたものなんじゃないかと、あらためて気づき始めたのだ。
お気に入りの本が本棚から消えていくのはちょっと淋しいけれど、ああいうホワッとした雰囲気の中で、顔の見える人たちの手に渡っていくのであれば、それはその本が right place を見つけたっていうことなんだろうし、まあ本棚が変わっただけだと考えれば、それはそれで悪くない。
そうなると、インターネットのやり取りだけで顔がまったく見えない人に本を送るのが、なんとなくあまり意味のないことに思えてくるのはごく自然な成り行きだし、なによりも、it’s not my style という確信が生まれてきたのだった。
3
もうひとつ、とても悩んだのは本に値段をどうつけるかということだ。
とりあえず蔵書リストはなんとかつくったものの、じゃあそれをいくらで売るんだという話になる。
定価のあるものなら月に何の問題もないことだけれど、古本、中古の商品というのは基本的に一物一価で、その状態やタイミング、あるいは希少性とさまざまな要素で決まってくるものだし、しかもそれはマーケットの事情に合わせて刻々と動く。
いちばん最初にぶつかったのは、いささか恥ずかしい話であるが、「定価」の壁。
こんなことがあった。