承前
とはいうものの、すでに10日が経っている。
時間の流れというのは、自分が思っているより遥かに速いもののようだ。
この前書ききれなかったゴールデン・ウィークの本買記、いくつかの本の雑感とリスト。
これもまた忘備として。
■ 文体練習( exercices de style ) レーモン・クノー 朝日出版社 20030418 初版第4刷
「地下鉄のザジ」の作者による知的なことば遊び。
まず隅々にまでしっかりと心配りされた端正な佇まい(designed by 仲條正義)に魅かれて手にとった本だけれど、
中身もそうとう刺激的だ。
これはある情景を、変奏曲のようにアレンジを変えながら99のスタイルの文章で表現するという試みなのだ。
ひとつの現象をめぐる99の文体。
それは最初の文章「1. メモ」で、まずフラットに描かれている、それはこんな出来事だ。
S系統のバスのなか、混雑する時間。ソフトをかぶった二十六歳くらいの男、帽子にはリボンの代わりに編んだ紐を巻いている。首は引き伸ばされたようにひょろ長い。客が乗り降りする。その男は隣に立っている乗客に腹を立てる。誰かが横を通るたびに乱暴に押してくる、といって咎める。辛辣な声を出そうとしているが、めそめそした口調。席があいたのを見て、あわてて座りに行く。二時間後、サン=ラザール駅前のローマ広場で、その男をまた見かける。連れの男が彼に、「きみのコートには、もうひとつボタンを付けたほうがいいな」と言っている。ボタンを付けるべき場所(襟のあいた部分)を教え、その理由を説明する。
この情景を、あるときは詩のように、あるときは暗喩だけで、また順番を逆にしての倒叙法で、あるいは夢として、予言として、手紙として記述される。それはまるで百物語のように、リズムと響きを変えながら99番目まで繰り広げられ、「そういえばさっきバスの中でね」というカフェでの会話に紛れ込ませるという複雑な手法で、しかも思いもよらないオチをつけて、ことばの世界から現実の世界にわれわれを引き戻し、俳諧らしきもので幕を閉じる
「バスに首さわぎてのちのボタンかな」
お洒落。
セイゴオさんがいうように、これは「編集工学のためのエクササイズのバイブル」といってもいいものだろうし、なによりもエスプリがきいている。
ともかくも、クノーの魅力はやはり『遊び』にある。”遊術”であり”遊学”なのである。いかに『知』を遊びきるか、その遊びを『知』のはざまにメビウスの輪のようにそっと戻しておけるのか、そのしくみを伏せないで見せること、これがレイモン・クノーの”編集術”なのである。
そしてこれはまた、きわめて難しかったであろう完全翻訳(原書の「ギリシャ語法」は枕草子風の「古典的」に、「イタリアなまり」は「いんちき関西弁」に、「ラテン語もどき」は「ちんぷん漢文」にしたとのこと)を成し遂げた訳者の作品でもある。
文体が、やはり命なのだ。
■ ぐるりのこと 梨木香歩 新潮社 20041225 初版
季刊誌「考える人」2002年夏号から2004年秋号に掲載された八つのエッセイ。
まず「ぐるり」(アクセントは頭で)という語感がシブイ。
「境界を行き来する」という一篇が印象的だ。
「不思議な静けさに満ちていて、それでいて開かれている」という初夏のセブンシスターズの断崖の散策の思い出からはじまって、海と陸との境界に臨んでその「向こう側に、自分を開いていく、訓練」というところに思索がながれ、それがローザ・ルクセンブルグへとリンクする。
そして話はさらに、その空に浮かぶカモメから「ジーンとともに」という本の話に移り、その本に描かれた「他者の視点」から、「自分を保ったままで、自分の境界はしっかり保持したままで、違う次元の扉を開いていく」という、ある意味哲学的な祈りへとたどりつく。
私の方はね、と(一緒にいったアメリカ人の女性に)口を開く、いつか人類の意識が、まるで『反射』のように難なく自他の境界を行き来できるときがくればいいと考えていたの。
“自分”と”境界の向こう側”とを繋いでいるものへの想いを紡いだこのエッセイは、まるでひとつの短編小説のようだ。
ほかの7篇も、それぞれに趣深い。
うまくいえないけれど、彼女(の文章)が持つしなやかで、でも硬質な空気感が、なんともいえず心地良いのだ。
■ GA Houses 21 二川幸夫 A.D.A EDITA Tokyo 19870220
数ある住宅雑誌の中でも群を抜いたステイタス感。
広告が全くないし、ブックコードもISBNだから厳密には雑誌分類ではないのかもしれないけれど、この「GA Houses」は、主宰であり写真家でもあるこの二川幸夫という人の存在感も重なって、ちょっとスペシャルな雰囲気をもっている。
掲載されている22の住宅はもちろんどれもカッコイイけれど、この号の白眉はなんといっても巻頭の「鉄の人」ジャン・プルーヴェ(Jean Prouve)の自邸。
どうしても家具ばかりが注目される人(EM table なんて最高です)だけど、コルビュジェが「彼が触れ、思いつくすべてのものは、ただちに優雅な造形美をもってしまう。」といったように、建築家としてもちゃんとした仕事をした人で、自身の鉄工場からの廃材でセルフビルドされたというこの自邸も、50’sモダンとプルーヴェの造形センスがいい塩梅に融けあってすごく住み心地良さそうだし、軒が深くて、なだらかなアールを描く屋根の造作がとても美しい。
あと、「Meet the Architect」として特集されているアントワーヌ・プレドック(Antoine Predock)というアルバカーキの建築家の7つの作品(集合住宅を含む)が、どれもニューメキシコ(タリアセン・ウエストのあるコロラドよりさらに荒涼たる砂漠)という風景によく映えて、素晴らしいものだった。
この「GA Houses」 、最新号は110ですが、古本ではなかなかでてこない雑誌の一つです。
■ 500 GREATEST ALBUMS OF ALL TIME インターナショナル・ラグジュアリー・メディア 20090501初版
名盤ディスクガイド500、Rolling Stone誌の版権を現在もっている出版社が ROCK の意味もわかっていないヘタレなところなので、本としてはたいしたことはないけれど、ひとつの資料としては価値があるかもしれない。
選者はミュージシャンやプロデューサーを含むアメリカ音楽界の有名どころ273人。
それぞれが最高だと思うアルバム50枚を選んで順位をつけ、5人以上が投票したアルバムを対象に、1位(100点)、2位(50点)・・・50位(2点)として得点を集計し、得点の多いもの順のランキングで掲載されている。
とりあえずベスト10を。
001 Sgt. Pepper’s Lonely Heart Club Band The Beatles 1967
002 Pet Sounds The Beach Boys 1966
003 Revolver The Beatles 1965
004 Highway 61 Revisited Bob Dylan 1965
005 Rubber Soul The Beatles 1965
006 What’s Going On Marvin Gaye 1971
007 Exile on Main Street The Rolling Stones 1972
008 London Calling The Crash 1979
009 Blonde on Blonde Bob Dylan 1966
010 The Beatles ( White Album ) The Beatles 1968
ビートルズが4枚ディランが2枚そして 60’s が7枚、まあわからなくもないけれど、ちょっと偏りすぎてて(選者がアメリカ人ばかりですから)あまり面白くないので 11- 20 も。
011 The Sun Sessions Elvis Presley 1976
012 Kind of Blue Miles Davis 1959
013 The Velvet Underground The Velvet Underground & Nico 1967
014 Abbey Road The Beatles 1969
015 Are You Experienced ? The Jimi Hendrix Experience 1967
016 Blood on the Tracks Bob Dylan 1975
017 Nevermind Nirvana 1991
018 Born to Run Bruce Springsteen 1975
019 Astral Weeks Van Morrison 1068
020 Thriller Michael Jackson 1982
ちょっと面白くはなってきたけど、やっぱりこういう集計だとどうしても総花的にならざるをえないよなあ。
リストを眺めながらひとりひとりのベスト20を考えるのも愉しいかと。
ちなみに第500位は、Eurythmics の シンセ・ポップ・アルバム「Touch」だったのでした。
■ 作家の中の音楽 安川定男 桜楓社 19760525 初版
旧い本だし、著者のことはよく知らないけれど、音楽というファクターを軸にした作家論という試みには、
ちょっと魅かれるものがある。
「個々の作家の精神の中で、音楽が、あるいはまた音楽的感性、感覚、感受性が、どのような形で生きて働いていたか」
俎上にあげられるのは、萩原朔太郎・森鴎外・夏目漱石・永井荷風・島崎藤村・白樺派・小林秀雄(もちろんモオツァルトです)といった近代日本文学の作家や詩人たちだ。
時代が時代だから、音楽はポップミュージックではなくクラシックだけれど、作者が自らがあとがきで言っているように、こういうアプローチによる作家論が、これだけまとまって記されるのは稀有なことだったろうと思うし、なによりも差し色のオレンジがよく効いたケースのデザインが本棚で輝いていた。
永井荷風は何を聴いていたのか、そしてそれは彼の文学に反映されているのか?
萩原朔太郎は、音楽を奏でるように詩を書いていたのか?
今でこそ、たとえば村上春樹がそうであるように、音楽は文学のモチーフとしてあたりまえのようにとりあげられるし、作家になってしまったミュージシャンなんていうのもいたりするけれど、ハードもソフトも満足に揃っていない時代の文豪たちが、どのように音楽というものに接していて、それがどのように作品に反映したのかということは、とても知りたい。
企画の勝利でしょう。
■ ―FUL クライン ダイサム アーキテクツ TOTO出版 20090401 初版第1刷
東京で活動するイギリス人建築ユニット「KDa ( Klein-Dytham architects )」。
この本は、彼らの来日20周年を記念してギャラリー間 で開催されている展覧会「20 クライン・ダイサムアーキテクツの建築」に合わせて刊行された作品集で、文字情報を集めた「WORDFUL」と、主要作品を紹介した「PICTUREFUL」の2フェイズで構成されている。
東京のイギリス人というところが、おそらくキーポイントなんだろう。
音楽には間違いなくイギリス独特の音があるんだから、建築やインテリアにも英国的感性ってものがあるような気がする。
巻頭の「建築は化学」という文章で、人と人との化学反応こそが新しいことやモノを生みだす力だといっているけれど、単純な出会いでなく、この伊東豊雄門下のイギリス人の感性が、日本のなにかと火花が飛び散るような化学反応を起こすことを期待してしまう。
something unexpected あるいは displacement
作品はそれほど多くはないけれど、どのデザインもポジティブな気配(ほんとうの意味でのポップ感覚 - それこそがじつはイギリス人の持ち味なんだ)に溢れているのが素敵だ。
彼らが改修したトマムのタワーはとてもカワイイ、力がなければあのバブルの塔をあんな風に変えられない。
■ 骨董玉手箱 秦秀雄 文化出版局 19781030 初版
「珍品堂主人( by 井伏鱒二)」が綴る骨董つれづれ。
骨董の魑魅魍魎に生きた人らしい。
希代の目利きであることは、この本に載せられた写真を見れば一目瞭然だけれど、それは真贋に長けているということではなく、美しいものが視えるということにおいてである。
白洲正子が「遊鬼」という本で、この人について述べている。
「名人は危うきに遊ぶ」といわれるとおり、真物の中の真物は、時に贋物と見紛うほど危うい魅力がある。正札つきの真物より、贋物かも知れない美の方が、どれ程人をひきつけることか。しまいには、自分だけにわかればいい、「人が見たら蛙になれ」と念じているのが、日本の目利きの通有性である。
「贋物を怖れるな。贋物を買えないような人間に、骨董なんかわかるもんか」
秦さんはいつも豪語していた。私が知るだけでも、彼は古伊万里、佐野乾山、魯山人など、「贋物のあるところ、必ず秦あり」といわれる程、贋物にかかわって来たが、目が利かないから、贋物を売買したのではない、目が見えるからあえて危険を冒したのだ。
この本には晩年の彼が見立てた逸品が、美しいカラー写真と洒脱な解説つきで掲載されている。
「見るは目 見ゆるは心」
井戸茶碗 李朝染付小皿 白磁面取り徳利 瓢箪 泰国紙貼りの籠 鉄釜 常滑発掘古窯出土の平瓦
「値高きを恐れず」
越前仏花器 信楽茶碗 唐津塩笥茶碗 伊万里煎茶茶碗 備前経筒旅枕 花唐草文黄瀬戸仏花器 金時計 信楽徳利
「値安きを軽んぜず」
麻の葉文様の金網 筒竹の花入れ 素焼き火もらい 志野初期の皿 土師器線彫文様陶碗 古唐津盃 徳利三種
「きずものをいとわず」
丹波の茶碗 伊万里染付徳利 秋草文酒盃 李朝鉄砂文の壺 黒高麗の扁壺 魯山人旧蔵志野皿 桃山陶片小皿
「奇縁好縁味なもの」
須恵の茶入れ 印花文黄瀬戸仏花器 藤原刳貫盆と小皿 柳に蛙の絵の石皿 丹波の大皿 斑唐津徳利と信楽擂鉢
「新作をみのがさず」
琉球の丸紋土瓶 魯山人の志野徳利 魯山人の鼠志野向付け 秦山の急須 九谷青窯の煎茶茶碗 匣鉢
「かなうはよし かないたがるは悪しし」
桃山唐津の小壺 辰砂絵唐津大皿 青磁呉須手大皿 三島暦手徳利 水晶と須恵の五輪 奈良春日神社油注ぎ
確かに魅惑的な世界ではあるけれど・・・・。
■ うつむく青年 谷川俊太郎 サンリオ 19900215 2刷
ずいぶん昔(1971)の詩集だけれど、このときすでに俊太郎さんが40才だったなんて信じられない。
ひとつひとつの言葉の瑞々しさ。
「現代詩が現代音楽とすれば、この本に収めた作品はポップスにたとえていいようなものが多く」と、あとがきで書いているけれど、良質のポップスを書ける人が、なかなかいないわけで。
詩については語れない、感じるしかない。
夕べ
暮れなずむひととき
柿の木の青葉が色を失ってゆくひととき
宇宙の運行をまのあたりに見るそのとき
懺悔するひと
交尾する虫
析出する結晶暮れのこるカンチェンジュンガの雪の頂き
大洋を西へと渡る翳
あのひとはどうしているだろう
響いてゆくひとつの音
ありとある書物の頁暮れなずむひととき
むずかりやまぬ幼児たち
佇む馬
曼荼羅
こうやって書き写してみると、この詩人の透明な視線がよくわかる。
■ THE BOB DYLAN SCRAPBOOK: 1956-1966 SIMON & SCHUSTER 20050913 初版
「No Direction Home」 という映画のことは以前書いた。
この本はそのフィルムとリンクする出版物、いわゆる関連書籍っていうやつだ。
フィルムもとても刺激的なものだったけれど、この「Scrap Book (まさにそんな感じの体裁なのだ)」にもシビレた。
レプリカとはいえ、いちばん尖っていたころのディランの手書きの歌詞草稿や、パンフレット・チケットが収めらていて、おまけがいっぱいついた雑誌みたいだ。こういうのは大人になってもちょっとワクワクするし、それが60’sのディランなら、やっぱり買わずにおれない。
・ディランの実家が営んでいた電気店の広告(1958年)
・ハイスクールの卒業アルバム写真とコメント(1959年)
・Talking New York自筆草稿(1962年)
・カーネギー・チャプター・ホールでのファーストコンサートのプログラム(1961年)
・Blowin’ in the Windの自筆草稿(1963年)
・アルバムThe Freewheelin’ Bob Dylanの販促物
・ニューポート・フォーク・フェスティバル1963のパンフレット
・初のツアー公演チケット(1964年)
・It Ain’t Me Babe, Chimes of Freedomの自筆草稿(1964年)
・カーネギー・ホール・コンサートのパンフレット(1963年)
・ビートルズのディラン称賛を伝える『メロディ・メーカー』紙記事(1965年1月9日付)
・Gates of Eden, Like a Rolling Stoneの自筆草稿(1965年)
・アルバムBring It All Back Homeのプロモーション用ディスプレイ
・自筆修正の入ったShe’s Your Lover Nowのタイプ草稿(1991年)
・交通事故後の謎の生活ぶりを伝える新聞記事
日本版もあるそうだけど、このUS原版はとても手のかかった造本で、なによりも Bob Dylan というアーティストへの respect に溢れているのが素晴らしい。
いささかマニアックではありますが。
■ 246 沢木耕太郎 スイッチ・パブリシング 20070419 第1刷
1986-87年の「SWITCH」の連載から。
20年経って単行本にする意味がよくわからないけれど、ともかく1986年1月10日から9月10日の間に(「深夜特急」が刊行された頃だ)、39才の沢木耕太郎が読んだ本、観た映画、会った人、書いたこと、そして考えたことが綴られている。
「日記のようなもの」と本人も「少し長いあとがき」で書いているように、公開を前提とした(つまり原稿として依頼された)文章だから、純然たる日記ではないけれど、昨今のブログ風ではなく、しっかりと原稿用紙にペンで書かれたことが感じられる沢木さんらしい生真面目な文体だ。
日記というコトバそのものが少し intimate な雰囲気をもっているから、書かれていることよりも書かれていないことが気になる。
書かれていないことは、どんなことなんだろう。
246は、皇居から青山(青山通り)・渋谷、駒沢を経由して二子玉川で多摩川を越える国道で、世田谷から都心へのメイン・ストリートだ。この国道246号線と成城からの世田谷通りは、沢木さんの仕事場がある三軒茶屋で合流する。
個人的な話だけれど、この連載が掲載されていた頃、二子玉川から渋谷まで、この246を車で通っていた。
とても懐かしい。
and so on,
■ JAXON STYLE LIVING BATH PROJECT 幻冬舎 20090410 初版
■ 春になったら苺を摘みに 梨木香歩 新潮社 20040320 6刷
■ ISAM NOGUCHI RETROSPECTIVE イサムノグチ展 東京国立近代美術館 朝日新聞社 1992
■ こころと形 谷川徹三 岩波書店 19751126 第1刷
■ 美濃 志野・織部/瀬戸 窯別現代茶陶大観 谷川徹三監修 主婦の友社 19799591第1刷
■ シャネル20世紀のスタイル 秦早穂子 文化出版局 19960501 第4刷
■ 名画とあそぶ法 江國滋 毎日新聞社 19930301 初版第1刷
■ ヒア・アンド・ゼア 北米大陸ホーボー通信 辻新一 思想の科学社 19880720 第1刷
■ 幻想の画廊から 澁澤龍彦 青土社 19881118 第8版
■ 映画的建築/建築的映画 五十嵐太郎 春秋社 20090430 初版第1刷
■ なにが粋かよ 斎藤龍鳳 創樹社 19720325 第1刷
■ 冷血( In Cold Blood ) トルーマン・カポーティ 新潮社 19670515 初版
■ 私と日本建築 アントニオ・レーモンド 鹿島出版会 19760526 第6版
■ フライ、ダディ、フライ 金城一紀 角川書店 20050820 3版
*
小林秀雄 said,
「文章ではうまく現わせないけれども、考えていることはもっと深刻なものがあるんです」 なんていうのはうそだ。正直なもので、文章には、その人が考えていることしかあらわれないもんだよ。孔子の有名なことばに「人いずくんぞかくさんや」というのがあるな。人間はおもてにみえるとおりのものだっていうんだ。自分よりえらくみせようとしたって、利巧そうにみせようとしたって、あるいは、もっと深く考えているんだって、いくら口でいったってだめなんだ。もってるものだけ、考えているだけのものがそのままおもてに、顔つきにも文章にもあらわれるんだよ。(「兄 小林秀雄との対話」by 高見沢潤子)
なかなか含蓄のあるお話だけど、まさにおっしゃるとおり。
文章にせよ音楽にせよ絵画にせよ、そのままにしか出てこないものなんだ。
軽薄な人は、軽薄な文章しか書けないし、品性の低い人は品性の低い音楽しかつくれない。
隔靴掻痒。
*
最近追加した「小説・詩・エッセイ・評論」のブックリスト。
SPOT LIGHT 特集企画第4弾、「 ミーツ・リージョナル編集室の半井裕子さんが選んだコトバノイエの30冊」準備中。
気鋭の女性エディターによる驚きのセレクション、乞うご期待。