気持ちいいことだけしていたい。
快楽的にというとフィジカルなニュアンスになってしまうから、悦楽的にとでもいっておこうか。
気持ちいいことだけっていうのは、逆にいうと気持ち悪いと感じることには決然と No ! といってしまうことで、
それを端的に表していたのが1967年の、
make love, not war
というメッセージだった。
とてもシンプルなコトバだけれど、時代が変わっても価値を持ちつづけているんじゃないかと思う。
戦争であれ、エコロジーであれ、オーガニックであれ、もっといえば法律や慣習であっても、なんとなく腑に落ちない、
気持ち悪いと感じることには、流されたくもない。
どんなときでも、NO というのにはちょっしたとエネルギーがいる。
でもそのエネルギーさえもポジティブなことに転化させるのが、悦楽的生活のポイントなんだろう。
そんなことを考えながら過ごした2009年ゴールデンウィーク の忘備。
○月○日
Y部さんが設計をした「Tシャツの家」のオープンハウス、亀岡までのドライブ。
前日に、たまたま入手したナビゲーション( SONY NV-XYZ-77/SONYは2006年にカーオーディの事業から撤退していて、いまは NAV-U という小型フラッシュメモリータイプのナビしか販売していないけれど、この機種が発売された2004年当時は、パソコンと連動した新しいスタイルのAVとしてけっこうセンセーショナルなモデルだったのだ)を、車にとりつけていて、ドライブはその試走でもあった。
ところがこのナビが絶不調、自分の走っている方向さえもちゃんと捕捉してくれない。
アンチナビ派からのあまりにもなしくずしの豹変に、機械もあきれてしまったのかと、しまいには笑えてきた。
その日の亀岡はとても寒かったけれど、Y部さんの造った新しい家は印象深いものだった。
その家の、窓のほとんどない仄暗い二階の部屋(ロフトというべきか)に佇んでいると、吹き抜けからの光と天窓からの光、まったく気配の違う上下ふたつの光に部屋全体が柔らかく包まれて、ほんとうに naked とでもしか表現しようのない素材むき出しの空間が(それはコトバノイエもそうなんだけれど、コトバノイエには本という衣装が着せてある)、とても豊かなものに感じられた。
室内で自然の光を美しく感じられるのは、まちがいなくひとつの悦楽だ。
建築家の愛がなければ、こんな家ゼッタイできない。
一年前にこんなことを書いている。
建築家と設計士の違いは、その作品に批評性があるかどうかということじゃないかと思う。
批評性とはつまり、 something new に対するクリエイティブな欲求であり、いままでのあり方を変えようとする明確な意志であり、さらにもっと抽象的に表現するなら、人間のつくるもの、そして人間のつくれないものへの「愛」のことだ。
その小さな住宅には、それがあった。
○月○日
風呂場では本を読む、飲みながら、食べながら。
文庫本で短編小説をひとつというのがちょうどいい。
この日は「給食室と雨のプール」というよくできた短編を読んだ。
いい短編を読んだら、こころにポッと明かりが灯るようだ。
自然光の入らない風呂なんてもう考えられない。
眼鏡が曇るのが難点なんだけど。
○月○日
この日はむかし「天皇誕生日(戦前は天長節)」といわれていた。
それがいつからか「みどりの日」になり、気がついたら「昭和の日」ということになっている。
無節操きわまりない変節、これをよもや「チェンジ」とか「Yes we can」とはいわないだろう。
都合で暦を変えてはいけない。
この日が忙しくて楽しい日になるのは、わかっていた。
まず「コトバノイエの30冊」のセッション。
これまでの3回は一癖あるオジサンばかりだったから、できれば次は若い人か女の人に、と考えていた「コトバノイエの30冊」の curator を 、一年前にお客様として来ていただいたことのある雑誌編集者のSさんにお願いしたら、快く受けてくださったのだ。
天気のよい日だったので、外のテーブルでのランチをはさんでのひととき。
去年の彼女の鮮やかなセレクションはいまでも心に残っている。
あのシャープな感性でコトバノイエの本棚から30冊を選んでもらったら、ちょっと面白いことになるんじゃないかとワクワクしながらのセッションだったけれど、彼女のスタイルはまさに curation とでもいうべきもので、選ばれた30冊には驚かされた。
こちらがプレッシャーを感じるほどに男前なブックリスト。
乞うご期待としかいいようがない。
そして彼ら(Sさんと引率のYくん)がコトバノイエを離れるのとほぼ同時に西宮へ。
Y部さんの先輩の建築家R平さんから、甲陽園目神山での「ヤネメシ」にさそわれていたのだ。
このときには、調整を終えたナビがその本領を発揮した。
目神山というところは文字どおり山のなかの住宅地で、それぞれの坂道に番号がついていて、地元の人たちは何番坂の○○さんといえばわかるみたいだが、基本的にはケモノ道を切り開いたようなところだから、外部の人間には道がきわめてわかりにくい、というか覚えにくい。
R平さんのヤネメシには一昨年もお邪魔したし、つい2週間ほど前にはその目神山の頂上にある北山浄水場でのお花見にも参加したんだけれど、何回行ってもあの道がどうなっているのかさっぱりワカラナイ。
ところが、件のナビに住所を入力すると、ナビのお姉さんがものの見事に案内してくれた。
懇切丁寧に、しかも渋滞情報や高速代も報告しながらのピンポイントである。
新しい機械を買った(ナビはもらいものなんですが)ときはいつもそうだけど、こんな便利なものを今まで使ってこなかったことに不条理を感じてしまう。
きっともう後戻りはできない、文明と人間はそうやって「便利」のなかで蜜月をつくってきたんだから。
目神山での「ヤネメシ」は最高。
人良し、食良し、気候良し、まさに悦楽的な時間を過ごさせていただいた。
あの「回帰草庵」の暖炉の前での after hours は、夢見心地といってもいいものだった。
なによりもR平さんのA型的ホスピタリティーに感謝の言葉もない。
○月○日
この日もなぜか忙しい。
GWの変則日程で行けていなかった本買いは外せない、この日を逃すとちょっと間が空きすぎる。
月単位で契約いただいている美容室「SMILE SEED」の本棚もタイムリミット。
そして、GW恒例の帰郷、おそらくこの日(平日)を外せば高速道路は絶望的に混むだろう。
まずいつものT書店での仕入れ。
中身は濃かったけれど、数が少なかった4月(33冊)の分は取り返さなければ、などと考えながら臨んだ久しぶりの本買いだったけれど、そうそう都合よく事は運ばない。
もちろん何冊かの収穫はあったけれど、本との出会いはやはり coincidence でしかないのだ。
そして前の晩に選んだ本と、その日買った本の何冊かを携えて SMILE SEED へ。
美容室はそれほどじっくり本を読めるという場所じゃないから、ラインアップは雑誌のバックナンバーを中心に組み立てるようになった。それでも、あの本はとても人気があるというフィードバックや、ときには気に入った本を買ってもらったりといったことが積み重なっていくと、いい本はどんな場所でもいい本なんだと独りごちる。
雑誌にしても、美容院のレギュラーである「女性自身」や「家庭画報」や「STORY」とはひと味違う「和楽」や「太陽」や「ESQUIRE」といった雑誌が、あのスペースにあるのはとても新鮮なことじゃないかと、これもまた自己満足。
とにかく自分の知らない世界を、その本棚にある本や雑誌で感じてもらえたらと、心から思う。
そんな月に一回の本棚編集を終えた夕刻、帰郷の途につく。
週末になってしまうとETCの莫迦騒ぎに巻き込まれてしまうに違いないと考えたら(それは正解だった)、
高速道路を走るのはこの日しかないのだ。
高速道路はあっけないくらい空いていた。
とにかくこの道路行政くらい気持ちの悪いものはない。
政治家の利権、官僚の天下り、意味不明の税金、そしてそれを徴収する巧みなシステム、グランドデザインのない政策、
そういったウサンクサイことがすべて凝縮されているようだ。
要は最初の約束どおりタダにすればいいだけで、財源がどうのこうのといわれているけれど、
15兆円もの選挙の事前運動を、財源もなしに(というか借金で)プランするほうがよほどオカシイだろ。
ドライバーは、NO ! と声を出すべきだ。
○月○日
郷里の町では、毎年この日に神社の祭りがある。
神輿がでて、夜店がでて。
今でこそいろんな楽しみがあって、なんて月並みなことは言いたくないな。
ハレの日はいつだってワクワクするし、一年中こんな日ばかりだったらと、子供だけじゃなくじつは大人だって思っているのだ。
P.S.
この日生粋のロッカーが、またひとり旅立った。
いまどきメンフィスでロックをレコーディングなんて、キースかこの人くらいだったのに。
ブルースを知らずにロックなんてできないよね、清志郎さん。
合掌
58才は鬼門なのか。
○月○日
実家に帰ったら必ず行くところがふたつある。
幼稚園の頃からの幼馴染のところと、少し離れた高原のリゾートにあるプールだ。
この高原のプールは、とにかく気持ちがいい。
それほど広いプールではないのだが、半外のデッキスペースがあり、澄みきった五月の空の下で、ゴルフ場の芝生や遠くに建ちならぶ山小屋風のコテージ、そして遙かに霞む山々なんかを眺めながら、泳いだり、デッキチェアに寝ころんだり、ジャグジーに入ったりするのは、岡林信康じゃないけれど、「申し訳ないが気分がいい」。
とにかく液体に身を浸すことは、悦楽のひとつの根源なのだ。
そして午後は競馬、第139回天皇賞 GⅠ。
競馬に限らずギャンブル、もっとあからさまに言えば博打の、痺れるような快感と奈落は、本の世界で言えば、阿佐田哲也の「麻雀放浪記」や、最近であれば森巣博「神はダイスを遊ばない」、古くはドストエフスキーの「賭博者」などにうまく描かれているけれど、とにかく己以外に頼るもののない孤独(それは自由であることの裏返しでもある)も、またひとつの悦楽のカタチじゃないかと思っている、勝つにせよ負けるにせよ。
京都10R 第139回天皇賞(春) 3200m芝・外
1着 マイネルキッツ 3:14.4
2着 アルナスライン
3着 ドリームジャーニー
払戻金
単勝 2 4,650円 12番人気
複勝 2 870円 9番人気
4 270円 2番人気
12 370円 5番人気
枠連 1-2 3,520円 11番人気
馬連 2-4 10,200円 28番人気
馬単 2-4 22,530円 66番人気
3連複 2-4-12 32,390円 92番人気
3連単 2-4-12 221,080円 572番人気
3連単(1着から3着までを順番どおりあてる)を1000円もっていれば221万円。
幼馴染の家でTV観戦、もちろんカスリもしなかったんですが。
○月○日
思いたって映画。
もともとゴールデンウィークという言葉そのものが、映画の世界からきたもの(by 小林信彦)なんだから、子供の日に映画を見るのは正統派の愉しみといってもいいだろう。
映画館の暗がりのなかで大きいスクリーン(できるだけ大きいほうがいいから、今のシネコンじゃほんとはちょっともの足りない)を一心不乱に見つめる2時間は、ほかの何ものにもかえがたいひとときだ。
そして映画といえばクリント・イーストウッド、オスカー総なめの「スラムドッグ$ミリオネア」も気にはなったけれど、ここは正調ハリウッドムーヴィー、「グラン・トリノ (GRAN TORINO)」しかない。
イーストウッドに駄作なし。
この前の「チェンジリング(Changeling)」は見られなかった(あっという間に上映が終わっていた)から、
この「グラン・トリノ (GRAN TORINO)」はゼッタイ見逃せないと思ってた。
イーストウッドが演じるウォルトという頑固ジジイは、17年前の「許されざる者(Unforgiven)」のマニーがそうであったように、彼自身の姿そのままのように思える。でもこの映画には「ダーティー・ハリー(Dirty Harry)」や「許されざる者(Unforgiven)」のようなカタルシスはない。
自分だけの正義に殉ずるのは、ハリーやマニーと同じだけれど、ウォルトには深い内省があり、それがエンディングのシーンにつながっているように感じられる。でもそれをアジア的とか仏教的という言葉で解決してしまうのはあまりにも短絡的で、5月31日で79才になるイーストウッドの「人生の締めくくり方」へのリアリティがそうだったと考えるべきじゃないかと思う。
.彼が表現するのは、リアルなアメリカの姿だ。
ミリオンダラーベイビーのサクセスストーリーや安楽死、スペースカウボーイの老後、ミステックリバーの友情と地縁、硫黄島の戦争と人間、アメリカという国やそこに暮らす人々のそのときの有り様を、まっすぐな視線で描いてきた。
映画のことをこれだけ知っている人は、ハリウッドにももうほとんどいないんじゃないかと思う。
ウォルトのような唾を吐く頑固ジジイになりたい。
○月○日
起きぬけに、昨夜届いた小林信彦の新刊「B型の品格(本音を申せば11)」を読み終えて、風呂で短編をもうひとつ。
この日は泣かせの次郎、「霧笛荘夜話」。
いつもながらの見えすいた人情話だけれど、鉄夫の純情にちょっと泣けた。
午後からは天神橋本買。
いつものところだけで済ましておいたらよかったのに、つい天満駅のほうに足を伸ばしたらこの本につかまってしまった。
■ The Bob Dylan Scrapbook, 1956-1966 Bob Dylan Simon & Schuster 20050913 ¥5000
まったく予定外だったけれど、このオレンジ色の背表紙が本棚に並ぶのは悪くない。
そのあとナビのお姉さんの指示に従って、ざこば寿司横ビルを見学して、帰宅。
連休のオオトリは、やはりソトメシだ。
あいにくの小雨だが、Y部さんが拵えてくれたコトバノイエは、外が雨でも大きな軒の下でスペアリブやハンバーガーが炭火で焼けたりする全天候型ソトメシ仕様なのだ。
これもまたY部マジックのひとつである。
べつにそうしようと考えていたわけじゃないのに、なんかY部さんではじまり、Y部さんで終わった連休の雑感。
持ち歩く鞄はいろいろ代えたけれど、この間ずっと持ち歩いていたのは、梨木香歩さんのエッセイや小説でした。
「家守綺譚」以来、この人のあやかしの世界に、ちょっと DEEP に惹かれています。
4日前から書きはじめて、すでに今日は5月8日。
書き疲れて、買った本の未読記まで辿りつけそうもありません。
はたしてこれを悦楽の日々と呼べるんでしょうか?