― in the year 1969
「アダマは、1960年代の終わりに充ちていたある何かを信じていて、その何かに忠実だったのである。その何かを説明するのは難しい。その何かは僕達を自由にする。単一の価値観に縛られることから僕達を自由にするのだ。」
これがその時代に流れていた空気感。
■ 69 sixty nine 村上龍 集英社文庫 20030607 第29刷
村上龍で「69」だからアッチのことじゃないかと思ってしまうが、そうではなく、1969年の地方都市(佐世保)を舞台に、著者の分身である受験をひかえた高校3年生が巻き起こす「闘争と祭り」を綴ったグラフィティ、自らが「こんなに楽しい小説を書くことはこの先もうないだろうと思いながら書いた」と述べているようなポップ感にあふれた作品で、2004年には宮藤官九郎の脚本で映画にもなっている。
1969年は、20世紀の折れ目だ。
その時にいくつだったかで、その後の way of life が天と地ほど違うだろう。
その年、
人類がはじめて月の海に足跡を残した、
安田講堂が落城し、東大には入学生が一人もいなかった、
ニューヨーク州ウッドストック、Max Yasgur さんの農場で40万人のLove & peace、
コカインで大金をせしめ、マルディ・グラ目指したイージー・ライダーは、南部の百姓に撃たれた、
ブッチとサンダンスのストップモーション、
すぎかきすらのはっぱふみふみ、
街の灯りがとてもキレイねヨコハマ、時には母のない子のようにだまって海をみつめていたい。
ビートルズ最後のコンサートは、アップルの屋上だった、
John & Yoko はジブラルタルで結婚式を挙げ、アムステルダムで Bed-In 、
ストーンズでもっとも HIPだったブライアンの溺死、
オルタモントのフリーコンサートでは、Hells Angelsに黒人の若者が撲殺された、
ロングアイランドのケミカル・バンクに人類史上初めてのATMが設置された、
ジャック・ケルアックは飲んだくれて肝硬変で死んだ、享年47、
ニクソンと佐藤栄作が沖縄非核返還に同意、72年には沖縄が日本になった、
HIV エイズウイルス( imported from Haiti )がアメリカで初めて報告された、
武豊誕生、「武邦彦の息子ではなく、父のことを『武豊の父』と言わせてみせます」、
森高千里も同い年、
バウハウスの創立者グロピウスが亡命先のアメリカで亡くなった、
新宿西口広場でフォークゲリラたちが「友よ、夜明け前の」と唄った、
バイク事故での休養の後ナッシュビルでカントリーアルバムを録音したボブ・ディラン、
ナナハン・パルコ・ヤングOh!!Oh!!、
広域重要指定108号事件の犯人永山則夫が逮捕され「無知の涙」を流す
コンピュータ・ネットワークの最初の通信がUCLAとスタンフォード研究所の間で交換された、
インターネットの初めてのメッセージは「log win」、
Led Zeppelin 登場、
3月30日、パリの朝、フランシーヌ・ルコントは自らの身体に火を放った、
全裸ミュージカル 「Hair」 on Broadway 、
まるでジェットコースターのような1年、何かが終わり、何かが始まった。
どんな感じなんだろう、これだけのことが同時に起こった年に17才でいるのは。
そのとき高校生だった彼はフェスティバルに熱狂し、その余韻はおそらく30年後の今も身体の奥底に残っているだろう。
そのときその熱狂をうらやましく見ていた中学生は、そのうらやましさをずっと引きずっている。
アダマが信じていた「何か」とは、ひとことでいえば「ROCK」だ。
1969年、ROCK は、単に音楽のジャンルではなく、atttude (個人が世界に立ち向かうときの姿勢)そのものだった。
そのことを、Janis Joplin はこう歌ったんだ。
freedom is just another word for nothing left to lose.
造反有理
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建築の本によく巡りあって住宅三昧。
探しているときはなかなか見つからないけれど、ぶらぶら歩いていると集まってくる。
そんなもんだ。
■ 住吉の長屋/安藤忠雄 千葉学 東京書籍 20080908 第1刷
「サヴォア邸」「イームズ自邸」に続くヘヴンリーハウスシリーズ第3弾、あらためて原点の「住吉の長屋」。
著者である千葉学さんが、安藤さんといっしょにはじめてこの「住吉の長屋」を訪れて、「空間が想像していたよりも遥かに小さくて、実に心地いいスケールだった」と感じ、その理由を2階のブリッジの手すりが、1100mmではなく700mmだったことで写真を読み間違えていたからじゃないかと推測しているのは、いかにも建築家らしい観察。
プロの人たちにとっては、実施図面(青焼き)が掲載されていることがひとつの価値でしょう。
あえて古典ともいえる住宅を訪ねるこのシリーズは、人選や構成も的確で、確かな編集力を感じます。
■ 建築と植物 五十嵐太郎編 INAX出版 20081010 初版第1刷
鈴木一誌のブックデザインがなかなか。
単純に庭の本かと思っていたら、けっこう奥が深い。
確かに植物を広義に解釈すれば、素材であり、デザインであり、構造であり、すべてが建築と密接につながっている。
他者としての植物
建築の外部としての庭園
温室という建築的な装置
自然現象としての建築
アルゴリズムの可能性
博覧会の起源と始まりの建築
曖昧な空間のランドスケープ
技巧派(簡単なことをより難しく)の論客、五十嵐太郎さんの面目躍如の一冊。
■ 住宅の手触り 松井晴子 扶桑社 20071120 初版第1刷
「建築家が建てた幸福な家」の編集者松井さんの最新作。
中村好文さんの言葉「住まいへの愛着は手触りから生まれる」に触発された「手触り」というキーワードは、松井さんの住宅というものへの視点を見事に表していて、建築家と住宅と住み手の幸福な関係をうまく伝えてくれています。
批評というより取材。
こういう編集者がいなければ、建築家と建築家に家を建ててもらいたいという人が、つながれません。
■ 住宅という場所で ギャラリー間編 TOTO出版 20021210 初版第1刷
2000年に催された宮脇檀の展覧会に併せて行われたシンポジウムと「空間術講座09」という連続講演会をもとに、上記松井さんのご主人である植田実さんが中心となって編まれた一冊。
植田さんと原広司、隈研吾、青木淳各氏との対談、中村好文さんの「住宅巡礼」講演、妹島和代さんへのインタビューなどが掲載されています。
帯にある「住宅は建築の主戦場か」というコピーは、なかなか複雑なものを示唆しているんじゃないかという気がします。
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