― the old fogey almost did it.
プレイオフで敗れた今年59歳になるトム・ワトソンが、第138回全英オープンの、ここをパーで決めれば
26年ぶりにこのメジャー・トーナメントで優勝できるという、72ホール目の第2打に選んだクラブのことに
ついて、ちょっと悔しそうに答えたあと、なんかいいヘッドラインを考えてくれないかなと記者に訊かれて、
きっぱりと、そして爽やかに応えた言葉がこれだ。
almost did it ― ほんとうに惜しかった。
勝利には届かなかったけれど、淡々と一打一打を刻むその姿が、トーナメントの主役であったことは、
スタンディング・オベーションで彼を迎えた、スコットランドの人たちがいちばんよくわかっていたんじゃ
ないかと思う。
トム・ワトソンは、1949年ミズーリ州のカンサス・シティ( Kansas City は、カンサス州とミズーリ州の
両方にあるのだ)の生まれ、1969年には20才だったわけだから、ばりばりのヒッピー・エイジだ。
中西部の田舎都市から、フラワー・ムーブメントの中心地、サンフランシスコのベイエリアの名門大学
スタンフォード(シリコン・バレーの中心地 Palo Alto にある、アップルがある Cupertino は隣町だ)で
学生生活をおくっていたそうだから、映画「フィールド・オブ・ドリームス」のキンセラ(架空の人物では
あるが)みたいに、そのムードに巻き込まれていても不思議はないはずだけれど、彼にはそんな気配を、
まったく感じない。 むしろどちらかというと、スクェアな印象である。
たぶんその風貌そのままの、真面目なヤツだったんだろう。
ジーン・サラゼンが、彼を評してこんなことを言っている。
トム・ワトソンという男は、大変、爽やかな人間である。それが、私の第一印象だ。いつ会っても、
まるで純朴な少年のような顔をしていて、決して嫌な顔を人に見せたことがないと思う。
そして、常に姿勢がいい。そのムードは、まさにアメリカでいう”スマート・ボーイ”の見本と言って
いいだろう。聡明、明晰、賢明。そんな言葉が寸分の狂いもなくあてはまってしまう男なのである。
どんな話をしてもそつがなく、一度会った人間は、恐らく彼に対していやな印象を持つことはないであろう。
ちょうど、昔のテレビのホーム・ドラマに出てくる典型的なアメリカの賢い少年といった感じである。
そう、例えば『パパは何でも知っている』というドラマのモデル家庭になっていた古き良き時代の
アメリカ家庭。ここに出てくる少年がワトソンそのものなのだ。
ゴルフというスポーツは、コースとの闘いであり、自分との闘いでもある。
なかでも、この全英オープンは、オーガスタのような人工的に設計されたアメリカのコースとは全く違う、
リンクスと呼ばれるほぼ自然のまま(サンドトラップだけはとても意地悪に掘られているけれど)の荒涼
とした海岸のゴルフコースで、しかもスコットランドの厳しい気候の下で開催されるトーナメントだけに、
自然というものにたいするプレイヤーの attitude や、自分自身にたいする discipline みたいなものが
いっそうきびしく試される。
石川遼のような新人が、そんなに簡単に歯が立つようなところではないし(よくがんばったけど)、
過去3回優勝しているタイガー・ウッズでさえ、今年はその荒ぶる風に幻惑され、予選で敗退している。
そして今年のこのトーナメントでいえば、ワトソンがチャンピオンにふさわしいプレイヤーの一人であった
ことは間違いないし、その attitude がほかのどのプレイヤーよりも、それを見ているぼくたちに感銘を
与えたのだった。
ゴルフのスポーツとしての特徴は、審判がいないということだ。
もちろんプロのトーナメントには、オフィシャルというルールの判定人がいるが、スコアそのものは、
プロもアマチュアも、空振りとかロスト・ボールのようなペナルティを含めて、すべて自己申告で、
一緒にラウンドするパートナーがそれをチェックすることで成立する。
たとえば、あなたが誰も見ていない薮の中で素振りして小枝を折ってしまったら +2、一緒にプレイ
している人に「いま何番で打った?」と尋ねたら +2 、そのペナルティは R&A のルールブックには
書いてあるけれど、それスコアカードに書き入れるかどうかは、あなたに委ねられている。
いっしょにコースを回れば人柄や性格がわかるといわれるのは、ゴルフがそういった自分を律する
気持ちに支えられているゲームだからだ。
じぶんでやるゴルフは、少しも面白くない。
アウトの1番のティイング・グラウンドに立つときは、ものすごく気持ちいいんだけれど、ティーショット
を打ったとたんに嫌になる。いくら人柄が良くても、それだけでワトソンみたいには打てないんだから。
ゴルフ場が自然破壊だなんて野暮なことはいわないし、見晴らしのいい森の中や海岸を歩くのは
とてもいい運動かもしれないけれど、不充足な気分をずっとかかえたまま、棒を振り回すのは不健康だ。
ましてあっちに走ったりこっちに走ったり、池に入って打ち直したり、小さな穴を行ったり来たりするのが
面白いわけがない。
でも、どんなヘボでも、どういうわけかワンラウンドに3回くらいは、痺れるようなナイス・ショットがあって、
まるで自分がタイガー・ウッズにでもなったようなその麻薬的な快感が、ぼくたちを泥沼に引き込むのだ。
山際淳司がこんなことを言っている。
ゴルフというのは不思議なスポーツだと思う。そう思える瞬間がしばしばあり、そのときもぼくはそういう
感覚にとらわれていた。狙い打ちにすると絶対にターゲットを外し、どうでもいいと思って打つと、どういう
わけかそのターゲットを射とめてしまう。それならと、ここは無心になって打つべきなのだと、「意識的」に
無心になろうとすると、また失敗する。アベレージゴルファーとはその堂々めぐりに巻き込まれている
ゴルファーのことなのである。
当然ながら、グリーン上ではベット(賭け)もある。
Golf and sex are about the only things you can enjoy without being good at it.
( ゴルフとセックスだけは下手でも愉しめる )
いくつになっても、悩みの種はつきないのだった。
attitude/ǽtitjùːd | -tjùːd/
名詞 : (人物に対する)態度, 感じ方⦅to, toward, on …⦆;(…という)態度
an attitude of arrogance|ごう慢な態度
an attitude of mind|心構え
discipline/dísəplin/
名詞 : 規律(正しさ), 秩序, 統制;風紀;自制;しつけ
the lax discipline of youth|青少年の無軌道さ
keep discipline|秩序を保つ.
*
いちど売れた本を買い直すことが多くなった。
もちろん売れたからもう一度仕入れるということではなく、もともと読みたくて買った本だから、
読むまでに売れてしまって、やっぱり読んでみたいなあと思う本は、買ってしまうんだけれど、
気分としてはじつはあまり「買った」という気がしない。
やっぱり本棚に今までなかった本が増えないと、面白くないんだな。
新しい古書店を開発した。
写真集「SUGIMOTO – ARCHITECTURE」はその成果。
未整理のまま雑然と本の束がころがっているようなところなので、ここはじっくりといきたい。
■ もし僕らのことばがウィスキーであったなら 村上春樹 平凡社 19991215 初版
タイトルは、「もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。」と続く。
さらに、
僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かにのどに送り込む、それだけですんだ
はずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。 しかし残念ながら、僕らはことばがことば
であり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、なにか別の素面のものに
置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、
僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らは ― 少なくとも僕はということだけど ―
いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。
うまいなあ。
鼻持ちならないスノビズムではあるけれど、言葉の選び方や文章のスタイル、そしてゆったりとしたその流れ。
この雰囲気は、この人でなければ醸しだせない。
スコットランドへのシングル・モルト・ウィスキーを訪ねての旅行記、造本・装幀も文句なし。
特筆すべきは、豊富に掲載されている陽子夫人の写真だろう。
個人的には、村上春樹の文学は、決して時代の先端を担うようなものではないと思うけれど、
彼がリラックスして書いた小品には、彼がもともとの素質として持っている瑞々しさや趣味の良さが
そのまま現れていて、じつはこういう比喩をしぼったゆるやかな散文こそが、この人の本領なのか
と思ったりする。
スコットランド ― 1949年生まれ、same place – same age ここにもまた coincidence があった。
■ SUGIMOTO – ARCHITECTURE 杉本博司 MCAC 20030222
新しい古書店での収穫。
杉本博司が撮ったモダニズム建築68点、2003年にシカゴ現代美術館で開催された写真展
“ARCHITECTURE” のための写真集。
「私は現代(モダニズム)のはじまりを、その建築物から辿ってみることにした」
方法論は、無限の倍という焦点距離。物理的にあり得ない空間にピントが合ってしまうわけだから、
とうぜん被写体はボケボケに写る(「溶ける」と彼は表現している)。優秀な建築は大ぼけ写真でも
溶け残るのだという。本人曰く「建築耐久テストの旅」。
たしかにその写真には、夾雑物が取り除かれた建築の霊が映っているような感じさえする。
実在している建築なのに、フィクションとしか思えないその姿。
この人は1948年生まれ 、ハルキやワトソンと almost 同世代なのだった。
■ 翔ぶが如く 1 – 4 司馬遼太郎全集35-38 司馬遼太郎 文藝春秋 19830615初版
気に入った作家の全集を、端本でひとつずつ集めるのは、古本の愉しみのひとつだ。
司馬遼太郎さんの全集は、この4冊を含めて24冊が本棚にある。
全68巻の大全集だからまだまだ楽しめるけど、問題はどれを持ってるかを本棚の前で
なかなか思い出せないことだ。
この「翔ぶが如く」は、司馬さんが最も本領を発揮する幕末/明治の大河小説。
物語の軸は、薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通だ。
鳥瞰的に時代を捉える司馬史観は、この激動の時代にその威力を最大に発揮する。
「世に棲む日々」や「竜馬がゆく」のようなわくわくするような面白さはあまりないけれど、
歴史というもののダイナミズムをより感じさせてくれるのは、こっち。
この作品の長線上にある「坂の上の雲」とならぶ、明治サーガの代表作だろう。
■ 美藝公 筒井康隆/横尾忠則 文藝春秋 19810220 第1刷
初出は 「GORO(懐かし!)」 の 昭和55年1月1日号 ― 10月23日号。
この本を買うのは3冊目、売れた分の買い直しの本だけれど、これまでのミリオン出版の
復刻版と違い、これはオリジナルの文藝春秋版だ。
判型もB5サイズの復刻版より大きいA4だし、なんといってもオリジナルだから、とハイな
気分になって(じつは先週買うことができなくて残っていてくれと祈っていた一冊だった)
いたんだけれど、Amazon では復刻版の半額以下だったので、ちょっとメゲた。
本としての価値はこっちに決まっているが、相場は人の気持ちで動くものだから仕方ない。
筒井康隆と横尾忠則のコラボレーションによる見事な一冊。
映画を通底にした、ひねりの利いた辛口の if ストーリーは、いかにも筒井康隆らしい諧謔に
あふれていて読み始めたら、ぐいぐいと惹きこまれてしまうけれど、なんといっても横尾忠則の
ブックデザインと、映画ポスターを模したグラフィック・ワークが素晴らしい。
柴田錬三郎の「絵草紙うろつき夜太」と双璧をなす、横尾ブックデザインの究極だろう。
ぜひ、立ち読みにきていただきたい。
and so on,
■ 箱の話 花田清輝 潮出版社 19741125 初版
■ 富岡多恵子詩集 富岡多恵子 思潮社 19731001 初版
■ エル・グレコ トレードの秘密 モーリス・パレス 白水社 19430512 初版
■ デザインすること、考えること 五十嵐威暢 朝日出版社 19960415 初版第1刷
■ いのちとかたち 山本健吉 新潮社 19811205 5刷
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最近追加した「美しき日本の残像」のブックリスト。