えー、今までナイショにしていたんですが、実はボクは不良なんです。
不良といっても、つっぱりとかパンクというようなハードコアなもんじゃなく、もっと軟弱で平和的な
不良ですから、ポストモダンな不良といってもいいかもしれません。
Y部さんからは、「たまたま合法」という立派な命名をいただいていて、まあそれはとても気に入って
いるんですが、とにかく基本的にみんなのやっていること、マジョリティとか常識といった、いわゆる
「普通」といわれているものに逆らいたい、そして群れたくない。
まずNOなんです。
NOといってから考える。
かっこよくいうと造反有理。
いつからこんな風になってしまったのか自分でもよくわからないんですが、どうもやはり二十歳前後に
あびた刺激というか、文化的な環境でそうなったんじゃないかという気がしています。
よく考えると、その頃からぜんぜん変わっていないんですね。
年をとっていくぶん許容量が増えたような気がしないでもないけれど、根っこのところは、同じです。
ボクは世代論が好きなんで、ひょっとしたら世代的なことかもしれないと思ったりもするんですが、
同い年のI井さんなんかを見てるとどうもそうじゃない、というか同世代のいろんな人をみても、
あんまりそんな人がいないようなので、だからまあこれは個人的なもののようです。
気ままなスタイルで古本屋なんていうことをやり始めてしまったのも、もちろんコトバノイエの存在というか、
建築の力も大きかったんですが、多分にその不良性に起因してるんじゃないかと思ってるんです。
なんとなくやさぐれた感じじゃないですか、古本屋って。
でもこうやってひょんなことで近藤さんに機会をあたえていただいたリアルショップで、不特定多数の
お客さんに対面するとそんな偏屈なことなんて言っていられない。
買ってくれるお客さんにはひたすら媚びたくなってしまうわけです。
ですからある意味このショップは、ボクを少しだけ更生させてくれていたんです。
それはとても新鮮だったし、なんか少しいい人になったような気になってとてもいい気分だった。
これでメシが喰えるならずっとやっててもいいなあとか妄想したりもしてたんです。
でもそれがなくなってしまう。
最初からの約束事とはいえ、とても淋しく思っています。
年齢を重ねてくると、好みはどんどん先鋭化して「こだわり」は強くなってきます。
でも同時にそのこだわりの範囲も先鋭化してくる。つまり、ごく狭い範囲のなにかしら、
きわめて intimate なこと以外は、どーでもよくなっていたりするわけです。
本はボクの、ほとんど唯一のこだわりといっていいものかもしれません。
そして、そのこだわりを仕事に、といっても多分に道楽入ってますが、できるのはやっぱり楽しい。
快楽、というよりは悦楽。
どうせなら、この悦楽というところに、なんとか辿り着きたいと、かなり本気で思っているんです。
たぶんもうちょっと修行しないと、そこには行けないんでしょうけどね。
とにかく、こんな風に転がり続けるしかないですね、苔が生えないように。
機会があれば、またやってみたいと思っています。
ご来店いただいたみなさん、本を買っていただいたみなさん、どうもありがとうございました。
thanks a lot, indeed.
また、いつかどこかで。
*
サリンジャーが、逝った。
1965年に最後の作品、「ハプワース16、1924 」をニューヨーカーで発表してから(アメリカでは未だに
単行本化が許可されていない)、45年間隠遁生活を送っていたということだが、とにかく写真が例の
あれ(30代だろうか)しかないんだから、誰にも知られず、案外ふつうに暮らしていたんじゃないかと思う。
ホールデン・コールフィールドがいなかったら、不良がポストモダンになることはあり得なかった。
世界は今も ” phony ” にあふれている。
Jerome David Salinger ( 1919/1/1 – 2010/1/27 )
合掌