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2009.02.22

somewhere but here

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ここではないどこか

ささやかな非日常ではなく、before – after

たった40時間でも世界は変わる、そうじゃなきゃ旅する意味がない。

雪の金沢で、杉本博司の exhibition を観た。

■ 歴史の歴史        杉本博司     金沢21世紀美術館         20081122 – 20090322

2003年の銀座メゾン・エルメスにはじまり、ニューヨークのジャパンソサエティギャラリー(2005)、
ワシントンDCのフリーア美術館(2006)、カナダのロイヤルオンタリオ美術館(2007)、サンフラン
シスコのアジア美術館(2008)と、世界各地を巡回されてきた「歴史の歴史」展は、会場や時期
によって構成や展示方法がずいぶん動いているようで、この exhibitionそのものが彼にとっての
表現で、それぞれのスペースとのセッションと捉えているようだ。

そして2009年の金沢21世紀美術館。

SANAAが企てたゆるやかな境界感は、杉本博司が見立てた歴史の姿を美しく包み込んでいた。

ガラスの壁に覆われた円形のフロアに、島状に配置された展示空間。
違うスケール感をもつ九つの場に、分散して exhibit されるオブジェとインスタレーション。

拡大解釈された「写真」たち。

真を写したものを写真と定義するなら、古代の化石や天平時代の当麻寺東塔の古柱はもとより、
第二次世界大戦中のTIME誌や二月堂の失火の焼損の痕が生々しい「紺紙銀字華厳経(二月堂
焼経)」やアポロ11号で食べ残された宇宙食など、ここに集められた彼のコレクションすべて(膨大
な数である)が、歴史を写した「写真」であり、展示空間のデザインをも包含した彼の写真家として
の表現と理解すべきなんだろう。

そしてその表現の奥底にあるのは、毅然とした美意識と、「私の精神の一部が眼に見えるような
形で表象化されたもの」の上澄みだけを掬いあげるアーティストとしての「技術」で、それを観る私
たちは、その美学に感応できるかどうかを、きびしく迫られる。

ワタシハカンジルガキミハドウダ ?
キミニミエルカ ?

「ここに集められたサンプルは、私がそこから何かを学び取り、その滋養を吸収し、私自身の
アートへと再転化する為に、必要上やむを得ず集められた私の分身、いや私の前身、である。」

その展示作品には、彼にしかできない「見立て」がいくつもあり、そのどれもが美しい光を放つ
ものではあったけれど、なによりも強く感じたのは、遺物収集というものの「業」の深さだ。

遺物には憑かれる。
ましてそれが自身の存在理由とかかわるものならなおさらだ。

下世話な話だけれど、これらの珠玉を手に入れるために彼の手元を離れていったであろう作品
の数々がおもわず頭に浮かんでしまったんだ。

旧作も合わせて展示されるものと思っていたので、古典的なゼラチン・シルバープリントの写真
が少なかったのがちょっと残念だったけれど、「海景」のオリジナル・プリントを拝見できたのは
ありがたき幸せ。

それにしても、芸の奥行きが深い。

あとは散歩。

まずどこに行っても古本屋ははずせないところとしても、ふらふらっと入ってしまった古美術店で、
茶入」なるものを買ってしまったのは、予期せぬことだった。
きっと杉本博司の遺物収集の熱ににあてられてしまったんだろうと思う。

ややずんぐりとした蹲(うずくまる)のような信楽の肩衝茶入、のぼり窯の強い炎で炙られた肌
には信楽らしい石はぜや焦げもある。肩口には灰釉もしっかりと流れて、しかも茶入としては、
かなり珍しい「共蓋」がちょこんとのっている。

掌でちょうど包みこめるその大きさがなんともカワイイ。

やきものの世界で茶道具は、別格といってもいいほどの存在だが、なかでも茶入は、「見立て」
もあまりきかず、茶会でしか使いようのないものだけに、独特の存在感をもつアイテムで、実際
に自分の手で触れてみると、織田信長が最後まで手元に置き、その配下の戦国武将が、一国
一城を賭したというその愛玩性の高さがわかるような気がする。

たぶん「美」なんていうものは、所有しないことが最上等なんだろうけれど、自分の場所で眺め
たり、自分の手で触ってみないとわからないことも、きっとある。

日暮れ時の昏い店先ではよくわからなかったけれど、底には銘があって、どうも「寿方」と読める。

調べてみれば、亡父の知己であった。
生まれてはじめてともいえる骨董買いだけれど、なんたる奇遇。

さっそく仕覆なるものと桐箱を手配した、できれば名前もつけてあげたい。

クセになりそうな気配。

*

■ 刻々の炎   八木一夫   駸々堂   19810228初版

小気味よいタイトル、かれが拵える「黒陶」のような函の雰囲気や活版の文字も素晴らしい。

八木一夫は陶芸の世界では伝説のスターだ。

柳宗悦の「民芸」に代表される、「用の美」という価値観に覆われていたやきものの世界に、
颯爽とアブストラクトな造形をひっさげて登場し、カフカを焼いたという「ザムザ氏の散歩(1954)
は、陶芸界の事件として語り継がれていて、彼が率いた「走泥社」の幻影も、未だに造形的な
やきものを志す人たちのなかに遺っているのではないかと思う。

1979年に亡くなったこのアーティストが遺した著作は「懐中の風景」と「刻々の炎」の2冊。
この「刻々の炎」は彼が亡くなった2年後に編まれたエッセイ集で、京都清水五条坂の茶碗焼き
の長男としいう出自から、中近東への旅日記まで、八章にわたる遺作アンソロジーでもある。

司馬遼太郎が、「若いころの八木に、私はつよく文学者を感じ、八木がいるかぎりうかつに小説
など書けないと思ったことがある」と記したこの人の文才は、冒頭に置かれた「いつも離陸の角
度で」という詩でも明らかだ。

「しかし、八木は「オブジェ焼き」の背後で「できごと」を考えていたようだ。
李朝白磁の白の意味、琳派の余白の金の意味、煎茶や煎茶器がもつ繊み(ほそみ)の意味、
青木木米にして届かなかったあることの意味、「窯ぐれ」や「写し」が巧まずして捻り出すものの
意味等々。本書を読んでいると、八木がそういうことを終始考えていたことがよく伝わってくる。
こうしてしだいに八木は「できごと」という器物の根源に向かっていった。(by Seigow M. )」

■ 逃亡くそたわけ    絲山秋子  中央公論新社    20050225 初版

amazonのカスタマーレビューに25の投稿がある。

それだけでもこの人がよく読まれていることはよくわかるが、シロウトのレビューを読んだだけ
でだいたいわかってしまうのはあまり面白くない。 経験則でいうと、ほんとうに面白いものは、
シロウトがシドロモドロしてしまうようなものの中にあるからだ。

デビュー作の「イッツ・オンリー・トーク」は、安吾の名作「青鬼の褌を洗う女」をおもわせるような
ヒリヒリした緊張感にあふれた佳作で、ひょっとしたら昭和40年世代のトップランナーになって
しまう可能性さえ感じさせられたけれど、精神病の弄びかたがこんな風に手馴れてきてしまうと、
無頼にならない。

心を残しながら捨て去ることが、無頼の矜持なのだ。

きっちり読みこめばこのロードムービー風は、もっと面白くなるんだろうか。

■ もめん随筆     森田たま     中央公論社   19361227 4版
■ きもの随筆     森田たま     文藝春秋   19560630 7版

女性のエッセイストの草分け、
群ようこだったか中野翠だったかのエッセイでとりあげられてリバイバルしたのは少し前だった。

掘り出しというほどのものでもないかもしれないが、どちらの本も、函つきのオリジナル(著者
装幀版)なら欲しいと思ってたから、状態はあまり良くないが、旅先の百均本としては悪くない。

タイトルも装幀もおなじ雰囲気だったので、続けさまに発行された本じゃないかと思っていたら、
なんと24年も間隔があいていた、戦前と戦後じゃないか。

どちらもまさにエッセイとしか呼びようのない、日々の暮らしのあれこれを、軽妙な筆致で、と
いった体のもので、今の時代から見ればそれほど珍しくもないスタイルだけれど、戦前に女性
が女性の視点で文章を綴って発表するというのはかなり新鮮なことだったはずだから、この本
が当時(昭和11年)のベストセラーになったというのも不思議じゃないし、群ようこや中野翠と
いった、この人と同じような文章の書き手が、このスタイルに共感するのも、よくわかる。

「もめん」の前半は、夫の郷里の大阪ですごした頃のことが綴られていて、冒頭から大阪には
美人が少ないという噂にはじまる、大阪の女と東京の女のあれこれが書かれていて面白い。

その感覚に少しも旧さは感じない。

■ そしてみんな軽くなった    トム・ウルフ    大和書房     19850910 第1刷

これも金沢での収穫。

原題は「 IN OUR TIME 」、意訳もほどほどにしてほしい。

トム・ウルフは、60’s を生き残ったライターで、60-70年代におこったノンフィクション文学の
担い手として耳目を集め、「ニュージャーナリズムの旗手」というのがこの人の枕詞。

彼が造った「ミー・ディケイド(ジコチューの時代)」、「ラディカル・シック(過激派びいきの
有閑知識人)」といった新語は、この人の、本質を感じとるシャープな能力を感じさせる。

彼の特質はそのユーモア感と辛辣な皮肉だろう、そしてそれはこのヒッピー世代のアメリカ
人がもっている共通の、そして独特のセンスといってもいいものなのかもしれない。

この本は、1977年から「パーハーズ・マガジン」に連載された、自筆イラストがついたショート
コラムをもとに編集されたコラム集で、60年代の熱狂が過ぎ去ったあとの、日本では「シラケ」
といわれた時代のスケッチ、ディスコ、パンク、デザイナー・ジーンズ、ルーツ、ライト・ビール、
ジョギングといったその時代の風俗が、皮肉たっぷりに活写されている。

彼のなかで、70年代は「60年代の後の休息期間」ではなかったのだ。

この人の本は、「バウハウスからマイホームまで(1981)」「現代美術コテンパン(1975)」
「虚栄の篝火(1987)」「ワイルド・パーティーにようこそ(1976)」の4冊が本棚にあるけれど、
カポーティでいえば「冷血」にあたる代表作、「ザ・ライト・スタッフ」がないのが痛恨。

そのうち必ず手に入れる。

*

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