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2009.11.08

the quality of having it

redlope2.JPG

quintessence <kwintésns> という言葉がある。
ものの完璧な具現/濃縮された純粋なエッセンス/真髄 という意味だと、辞書にある。

片岡義男さんは、14オンス入りオクタゴナル・ボトルに入ったハインツのトマト・ケチャップに
ついて、「それは選び抜かれたベストというような、何かにとって代わられる可能性のある
ものではなく」、パッケージやイメージをも包括した、「これ以上望めないほどの完璧な完成度
をもって自立した」ひとつのモノだと断定し、このように書いている。

ケチャップを求める旅は、ハインツのそれを選ぶことによって、終了する。
手中にはパーフェクトなケチャップが残り、そのケチャップと、それを選んだ人の間には、
官能的なと呼んでさしつかえないほどに充実した呼応する関係が結ばれる。
ケチャップが、ただ単によく出来たケチャップであることをこえて獲得している、全体的な
完成度、たとえばそれをひと目見て、あ、これはパーフェクトだ、と直感的な自信を持って
言いきれるようなクオリティが自立してはっきりと感じとることができるとき、そのような
クオリティを、ひと言でなんと言えばいいかというと、やはり、クインテッセンス、だろう。

その言葉をタイトルにした本、というかモノクロームの写真集を、Better World Books という
アメリカにある、NPOのブックストアから amazon 経由で手に入れた。

□ QUINTESSENCE ― The Quality of Having “it”    Betty Cornfield & Owen Edwards    BD&L    1983

アメリカにかなり昔からある日常的なモノのなかから選ばれた、64のクインテッセンス。

マティーニ/ウエッジウッッドのボーンチャイナ/キャンベルのトマトスープ/ポラロイド・SX70/
モンブランのNo.149/ピーナッツバターとイチゴジャムのサンドイッチ/スタインウェイのピアノ/
オレオ・チョコレートクッキースーパーの茶色の紙袋/レイバンのメタルフレーム・サングラス/
ハーレー・デイヴィッドソンのエレクトラグライド/クレヨーラのクレヨン/ジッポのオイルライター/
コパトーン・サンタンローション/M&Mのチョコレート・キャンディ/ラコステのポロシャツ/
ジョンソンのベビーパウダー/ハインツのトマトケチャップ/L.L.ビーンのハンティングブーツ/
タッパウェアーのコンテイナー/ドンペリニヨンのシャンパン/スイス・アーミーナイフ・・・・。

もはや変わる余地のない、あるいは変えようと思ってはいけない one and only のモノたち。

この本を眺めていると、極私的クインテッセンスごっこがしたくなってきた。

どういうわけか、まずうかんだのが車だった。

PORCHE 911

水平対向のエンジンを搭載するRR(リアエンジン・リアドライブ)という、まったく現代的ではない
レイアウトを、1963年のデビューから頑に守りつづけ、しかも、誰もが即座に思い浮かべる一つ
のイメージを、確実に保持しているそのデザインの「在りかた」は、まさに quintessence 。

最新のポルシェが、最良のポルシェである、という言葉が、すべてを表している。
生産されたすべての数の7割がいまだに現役であるというその生存率は、ひたすらスゴイ。

残念ながら所有したことはないが、乗ったことはある。
乗ればシビレル。

カメラなら NIKON F3
F2でもF4でもF5でもなく、ましてや絶対にDでもなく、圧倒的にF3なのだ。

プロの世界でデジタルがスタンダードとなり、銀塩カメラがマニアックな愛玩具になっても、
36 x 24 mm というフォーマットは、一眼レフの標準サイズ(フィルムがCCDに変わったが)で
あり続けているし、的確に現像されたカラー・リバーサルフィルムの写真としての美しさは、
他のなにものにも代えがたい。

そのすべての原点としてF3がある。
ジウジアーロによるデザインを含めたそのスタイルは、代えようもないし、変わりようもない。
一眼レフはライカではなく、圧倒的にNIKONなのだ。

ちなみにフィルムは、kodak エクタクローム64 EPR 、これしかない。すでに廃番だけどね。

この本には、CAMEL が載っているけれど、煙草なら Marlboro をプッシュしたい。
タール12mgとパッケージには書いてあるから、時代の流れとは完全に逆行した存在だけれど、
とにかくマールボロ・赤・ボックスは、男の世界、というか男の世界に憧れる男の世界なのだ。

たまに喫うと、クラクラするくらいに旨い。

パーソナル・コンピュータの世界は、ドッグ・イヤーといわれるほど移り変わりの激しいものだから、
ほんとうの意味での quintessence なものはないのかもしれないけれど、唯一それらしきものを
あげるとしたら、apple という会社、あるいは Steve Jobs というカリスマだろう。

ひょっとしたら、iPhone 。
使ってて、こうなったらいいな、というところがあるから完成されたものではないと思うけれど、
使いはじめたら他のケータイが全く気にならなくなった。パーフェクトな感じがないのにベストを
探す旅から解放されるというのは、まさにそれが quintessence をもっているからだろうと思う。

音楽はどうだろう。
Miles の「 Kind of Blue 」はOKかもしれない。
Dylan の「 Highway 61 revisited 」が、たぶんそうなんじゃないかという気がするけれど、
ちょっとノスタルジイが入っているような気配も感じる。
John Lennon は、音楽じゃなく、そのライフスタイルが、quintessence 。

でもきっとそんなことじゃなく、12インチのジャケットに収められた、LPレコードという物体
そのものが、かけがえのない quintessence じゃないかという気がしてきた。

音楽のことを考える時イメージとして浮かんでくるのは、あの無粋なプラスティックの箱ではなく、
丸いレコードのカタチのスレ跡が残る、あの12インチ四方の、紙のオブジェなんだから。

本はむつかしいな。
作品ではなく、作家をあげてもいいといわれれば、躊躇なく「坂口安吾」をあげるんだけれど。
この人の物書きとしての覚悟は、quintessence と呼ぶに値する。

音楽と同じように物体と考えれば、オレンジの背表紙のペンギンブックスのペーパーバック。
本というものの、本質やイメージの総体を、この叢書が象徴しているように思う。

あと文房具なら、片岡さんがいうように、やはり鉛筆が頂点だ。
STAEDTLER の2B、決して三菱 uni ではなく。

優秀な日本製製品の常のごとく、単純にクオリティ(芯が折れにくいこと、削りやすいことがその
要諦だと思うが)だけを比較するなら uni かもしれないが、鉛筆としての存在感がまるで違う。

机の上にあの青いボディが見えるだけで、なにか気持ちがシャンとする感じがするのだ。

食べ物でいうと、たとえば雪印の6Pチーズ。

似たようなものや、いろいろなバリエーションがあるが、これに代わるものはない。
1954年には発売されたというこのきわめて日本的なプロセスチーズは、パッケージやその味の
quintessence 度、定番感で他の追随を許さない、というか、これ以外のものはあり得ない。

フランスのチーズは、fromage という名の別の宇宙のことだ。

 

人とモノのありかたに、教訓なんてない。

ただ漠然と荒野のようにさまざまなモノがあって、そのなかのある種のモノは、うまく表現でき
ないけれど、美しさや官能性といった目に見えない光のようなものを発していて、それを感じる
アンテナさえあれば、人とモノとの、交感とでも呼べるようなコミュニケーションが成立するのだ。

だからどうってことはないけれど、そういうのってなんか少し愉しいじゃないですか。

*

晩秋の本買記。
バタバタしていて気分はいっこうに秋らしくならない。

□ 地球が回る音     中村とうよう    筑摩書房   19910925 第1刷

ふだんなら買わないカバーなしというB品だが、著者渾身の大著を純粋に読んでみたくなった。

ニュー・ミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)は、この人が編集長をしていた
1972年(創刊は1969年)から1989年までの17年分のすべてが本棚にある。
ちょっと恥ずかしい話だが、田舎のロック少年には、この雑誌がバイブルだったのだ。

なかでも、創刊以来ずっと連載されているコラム「とうようズトーク」は、それを読むためだけに
この雑誌を買う人がいるというくらいに有名な硬派コラムで、この本には、そんなとうよう氏の
30年間にわたる音楽評論のコアが集大成されている。

1 ワールド・ミュージックに向けて
2 同時代音楽ウォッチング30年
3 ロックのための追悼文
4 ディヴィッド・バーンの仕事
5 ハムザ・エルデーィンという人
6 音楽文化の周辺
7 ブラック・ミュージックの変質
8 ジャズのゆくえ
9 テレサ・テンをめぐって
10 美空ひばりと都はるみ
11 地球の裏は朝だった

今ではもうひとつの音楽ジャンルになってしまった「ワールド・ミュージック」という概念は、
この人がつくったといってもいいんじゃないかと思う。

□ ハチ公の最後の恋人     吉本ばなな    中央公論社   19960607 初版

装幀が良かったので、文庫本でもっているのは覚えていたけれど、つい買ってしまった。

少し幅が広い変形の判型、カバーではなく、折り返し=見開きになっている表紙の裏表に配された
サーファーの写真の絶妙の構図、見返しの朱色と芥子色の扉、裾に余白をとった本文のレイアウト。

ひと目で人を惹きつける、力のあるデザインは中島英樹。 さすがである。

中身は、典型的な「ばなな節」。
彼女の「亡くなっていくもの」への描写は、当代一と言いきれる。
微妙なところで、切なさがセンチメンタルに陥らないのが、作家としてのこの人の実力だろう。

ラストシーンで、初出からの手直しがあるらしい。

□ 菊池君の本屋    永江朗    アルメディア   19981111 第7刷

菊池君の本屋、「ヴィレッジ・ヴァンガード」のルポルタージュで、本に興味はあったが700円は
ちょっと高いなあと思ってたら、均一棚に下がってきたので即ゲット。

本屋としてあの雑貨的なスタイルを真似たいとは思わないが、ショップを立ち上げた人(菊池君)
がどのように考え、どのようにそのカタチを実現させたのかは、ちょっと気になる。

けっきょくどの商品でもそうだが、消費者の像をどう描くかに尽きる。
ヴィレッジヴァンガードは、ある種の消費者の映像ををピンポイントで掴んでいるに違いない。

「ジオラマのような書店」というのは言い得て妙な表現だ。

15年前の本だから、情報としては少し古いけど、巻末の「定番1200」は、とても面白い。
これらを揃えれば、とりあえずヴィレヴァンもどきがオープンできるんだから。

□ 真贋    吉本隆明    講談社インターナショナル   20080414 第10刷

ばななを買って父親をはずすわけにはいかない。

吉本隆明としては珍しく柔らかく感じるのは、この本が本来の意味の著作ではなく、編集された
インタビューだからじゃないだろうか。

「まずは、どうでもよさそうなことから考えてみる。そういった視点が必要なのではないか。」

もちろん隆明さんの、その柔軟な視点も充分に魅力的で、ハッとさせられるところもたくさんあるが、
世評あるいは時評ともいえる、この本で価値があるのは、

文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、俺だけに
しかわからない、と読者に思わせる作品です。この人の書く、こういうことは俺だけにしかわからない、
と思わせたら、それは第一級の作家だと思います。

というシンプルな、批評のモノサシを提示してくれたことじゃないかと思う。
このモノサシは、文学だけでなく、絵画や写真や音楽といった芸術一般にも通じる批評眼だろう。

インタビューで、隆明さんが手振りを交えて、ちょっと老人的に同じことを繰り返す姿が目に浮かぶ。

「真贋」というタイトルがよくその思想を現している。
「真贋」の見分けが、批評だけじゃなく、生きることのすべてといってもいいかもしれない。

□ 随筆三国志    花田清輝    筑摩書房   19691115 初版

どうしてこの人の本を手にしてしまうのかさっぱりワカラナイ。 

どんなトラウマやねん、とついツッコミたくもなる。

小説を4冊

□ みずうみ    よしもとばなな    フォイル   20051208 第1刷
□ 生きる歓び    保坂和志    新潮社   20000730 初版
□ おめでとう    川上弘美    新潮社   20001120 初版
□ 国旗が垂れる    尾辻克彦    中央公論社   19830120 初版

文学を2冊

□ ヒコーキ野郎たち    稲垣足穂    新潮社   19691010 初版
□ 鍵    谷崎潤一郎    中央公論社   19570201 8版

その他、乱雑に

□ 雅美生活 北大路魯山人    梶川芳友    何必館・京都現代美術館  19970624
□ ドゥ・ザ・レフト・シング    伊達政保    批評社   19910325 初版
□ 家具の本    内田繁    晶文社   20011030 初版
□ 波うつ土地    富岡多恵子    講談社   19830624 第1刷
□ 全身小説家    原一男    キネマ旬報社    19941103 第2版
□ やし酒飲み    エイモス・チュツオーラ    晶文社   19880610 11刷
□ 色彩調和と配色    星野昌一    丸善株式会社   19630910 第7刷

 

最近追加した「ART ― 絵画や写真についてのあれこれ」のブックリスト。


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