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2008.08.12

if i had a hammer

deadflower.JPG

朝から蝉が五月蝿い。

暑さのせいで、ふだんはそれほど気にならないことに不機嫌の虫が騒ぎだす。

3車線の真ん中をとろとろ走っている軽自動車、運転しているのはオバサン。
オバサンはひたすら前方を見つめていて、自分が流れを澱ませていることには気づいていない。

一番左のレーンを走ると路上駐車の車があって、その車をかわすには右後方から走ってくる車
を確かめながら、いったん車線変更してもとのレーンに戻るという、やや難易度の高い動作を
しなければならないから、それがヤダという気持ちもわからなくはないけど、だからといって、
堂々と真ん中のレーンをゆっくり走られるのは、その後ろの車にすれば迷惑この上ない。

周りのこともぜんぜん見えてないけれど、じつはそんな自分の姿も全く見えていない。

これってマナーの問題というよりも、「無意識過剰」とでも呼ぶべき病理なんじゃないのか。

窓から火のついた煙草を平気で捨てるガキ、ウィンカーも出さずに割り込んでくるイラチオヤジ。
絶対的安全運転しかしない教条もみじマーク、意味のない信号、まっすぐ走ってると自然に右折
レーンに流されてしまう陰険なホワイトライン。

If I had a hammer, I’d hammer  on nasty traffic.

文字が汚すぎるぞ windows 。
ほぼ毎日 windows XP のマシンと  OSX leopard を使っている。
たいした作業をしているわけじゃないから、操作性や全体のインターフェイスは、まあなんとか
我慢できる範囲だと思うんだけれど、フォントの汚さはちょっと耐えがたい。
書く気しないもん、仕事じゃなきゃ。

アップルのジョブスが、大学をドロップアウトして、書法(calligraphy)のクラスを聴講して
いたことが、Mac のフォントがきれいな理由のひとつで、ジョブス自身も、こういっている。

「もしも,私が大学であのたった一つのコースに巡り合っていなかったら,マックは複数の書体
やプロポーショナルフォントを搭載していなかったでしょう。そして,ウインドウズはマックを
ただ単にそっくり真似ただけですから,おそらく,どのパソコンも複数の書体やプロポーショナ
ルフォントを搭載していなかったことになるでしょう。」

フォントなんていうのは GUI の基本中の基本で、極端なことをいうと、書くものの内容さえそれ
で変わるといってもいいくらい重要なものだし、技術的に決して難しいものじゃないはずだから、
OS にきれいなフォントを採用しないのは、単純にセンスの違いっていうことだけじゃなく、イン
ターフェイスやOSに対する考え方、さらにはパーソナル・コンピュータというツールの捉え方の
方向が違ってるとしか思えない。

要するに判ればいいじゃん、文字なんて、といった効率主義。

それってやっぱりHIPじゃないよね。

If I had a hammer, I’d hammer on Microsoft.

兵馬俑を掘り出してきたのかと、一瞬思った。
オープニングの光のアレンジがちょっと新鮮だったので思わず見入って、けっきょく最後まで
見せられてしまった開会式のセレモニーだったけれど、あれだけデジタル的な表現が、すべて
人民の手で行われるって、中国らしいといえばそうだけど、ちょっと気味悪くありません?
北朝鮮のマスゲームみたいだし、一人はただの1ピクセルといわれてるようで。

そこにいたるまでどれほどの強制があり、どれほどの自由が奪われてきたのか。

「他人の空似」というのは浅田次郎さんの言葉だけれど、中国人とアメリカ人がなんとなく
似てるって感じることが、確かにある。
基本的に大雑把、大きいものと派手なものだけを美しいと信じる感性、成り上がりを賛美し、
金持ちが正義と唱える拝金主義、そして自分の国が世界の中心だと盲信しているところ。

遠い過去には中国に朝貢し、今は親分アメリカの代貸しをつとめる日本からすると、このよく
似た2つの国柄が、ロシアのように陰険でなかったことを喜ぶべきかもしれないと、新たな
戦争のニュースを聞いて、ふと思う。

anyway, If I had a hammer, I’d hammer on olympic in China.

この他にも、自分大好きブログのことや、面白くない漫才、出ない携帯電話なんていう不機嫌
の元はあるんですが、汗をかきながらこれを書いていることさえ気に入らなくなってきたので、
今日はこれくらいにしといたる。

*

際立った掘り出しものがなかったせいか、初見の著者の本が集ってきた。
もちろんアタリもハズレもあるんだろうけど(内心かなりの確率でハズレじゃないと思ってる
んですが)、こうやってバリエーションが増えることは悪いことじゃない。

こういう新しい世界の本を読まないで手離すのはもったいないから、がんばって読もうっと。

■ 体の中の美術館   布施英利   筑摩書房  20080620 第1刷

この本のことも、著者のこともぜんぜん知らなかったけれど,「カン」で。

すばる望遠鏡や重森三玲の庭やイサム・ノグチの石肌やヘンリー・ムーアの彫刻やコルビュジェ
のサヴォア邸や藤森照信の高過庵やバリー・ボンズを、ひとつのコンセプトで語った本が面白く
ないわけがないと思います。

「芸術はどこで生まれるか? ヒトの体で。それがこの本のテーマだ。」

「人は、目と脳と、そして体で見る。」

ゲルハルト・リヒターの「髑髏」をあしらったジャケットも秀逸です。

■ 道化的世界   山口昌男   筑摩書房  19750630 初版第1刷

これはジャケ買い、奥付を見たら平野甲賀装丁でした。

何ヶ月も前から気になっていた一冊だけでど、なかなか手にとるところまで至らず。
こういう場合たいていは他の誰かがもっていってしまうものですが、このタイミングで本棚に
入ってくるのはなにか「縁」があったというべきでしょう。

いわゆる文化人類学、その文脈での道化とはトリックスターのことで、もちろん肯定的な評価。

「道化は硬直化した秩序のいたるところに軽快な身振りで登場し、脱臼作用(=イタズラ)を
仕掛けてまわる—– さまざまな現実のレヴェルをダイナミックに捉えてゆく感受性や方法論を
鍛えるためにこそ、〈道化〉的知のモデルが求められている。」

あまりよく解ってるわけじゃありませんが、トリックスターが極めて知的な存在であることは
明白で、モラルや規範を飛び越える(これを革命ともいいます)ためにはそういう常人の域を
はみだす存在が、「道化(はぐらかし)」ることが、ひとつのポイントかもしれません。

■ 十一面観音巡礼   白洲正子   新潮社   19801020 八刷

数ある白州正子の著作の中でも「かくれ里」と並ぶ名著だと思います。

青山二郎さんに「韋駄天お正」と名づけられたあだ名さながら、フットワーク軽く各地の仏像
を巡り、自身がもっとも愛する十一面観音を滋味深く語ったこの本には、文筆家としての白洲
さんのすべてがあるといっても過言じゃないでしょう。

彼女の古典に対する教養と、工芸や骨董をとおして得た審美眼で見つめた「日本と日本人」が、
仏像を軸に、随筆という柔らかい形式で綴られているところにこのひとの唯一無二を感じます。

■ 入浴の女王     杉浦日向子    講談社    19950920 第1刷

2005年に若くして亡くなった女流漫画家・江戸風俗研究家の銭湯めぐり。
あの荒俣宏さんの元妻であったことを wiki ではじめて知りました。

名前はもちろん知っていましたが、この人の本を買うのは初めてで、タイトルと、それに呼応
するようなご本人の手になるジャケットのイラストのなまめかしさに惹かれておもわずレジへ。

「舞妓さんの、おっぱい。」、こんな書きだしではじまる銭湯巡りはやはりチャーミング。
大阪では生野区「源ヶ橋温泉」が登場しています。

風呂好きとしては、かなりそそられる題材ではあります。

 

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