インテリアデザイナーという職種がある、日本ではあまり見かけないけれど。
アメリカのアッパーミドルの人たちが新しく家を建てたり、少しステップアップしたエリアに
家を買ったり(住宅を建築するのはアメリカではひどく高いのでこっちのほうが多い)した
とき、お約束のようにこのインテリアデザイナーを雇うことになっている。
アメリカは、「成りあがり(upstart)」がポジティブに許容される社会だから、自分の生活
環境を快適にするためにデザイナーを専属にすることが、ひとつのステイタスと考えら
れているし、社会生活の場で忙しい役職に就いていることの象徴だったりもする。
インテリアデザイナーは、建築家と同じように住み手となるそういう人たちの依頼をうけて
(日本での家造りと同じようにクライアント側の窓口になるのは奥様であることが多い)、
インテリアのコンセプトを練り、全体のテイストや基調色を決め、部屋ごとにカーペットや
壁紙やドレープを選び、それぞれの部屋に置く家具や絵画をコーディネイトし、そして
アメリカ人が大好きな壁いっぱいに飾る家族写真の額縁とその場所を決める。
新しい住居のインテリアパーツを考えることは楽しい作業ではあるけれど、それをトータ
ルにコーディネイトするのはなかなかやっかいなことで、予算的なことも含めてそれなり
の知識や経験やセンスがないとなかなかうまく収まってくれないし、建築のコンセプトと
も密接にかかわってくることだから、その仕事はきわめてプロフェッショナルなものだ。
そしてそういう職能を持ったプロが住まい造りにかかわることで、その全体がすんなりと
まとまるようになっている。
組織に属さずたいていがフリーとして独立しているインテリアデザイナーたちは、スタイリ
ストのようにトレンドに目を凝らし、自分だけのショップリストやアーティストのネットワーク
を持っているし、そういったプロのためのショールームが集まったファシリティーが大きな
都市には必ずある。
日本にも80年代に、インテリア・コーディネーターという資格ができて、実際にその資格を
持った人たちが何人もいるわけだけれど、店舗や建売住宅やマンションのモデルルーム
などのスタイリングをすることはあっても、 個人的に住宅のインテリアのプランを依頼され
るなんていうことは、あるんだろうか。
想像できます?
自分が家を建るときに、建築家とは別にインテリアのプロを頼む(=Feeを払う)なんて。
でもやっぱりそれが問題。
それっていうのは、デザイナーを雇わないことじゃなく、たとえば住宅のインテリアに代表
される個人的な生活の領域で、プロでしか持ち得ないソフトになんらかの価値を見いだして、
生活の向上を図っていくという合理的なプログラムが、ごくあたりまえの方法論として存在
していないこと。
たとえば弁護士や設計士は、難関といわれている国家資格のライセンス制度があること
で、そのソフトワークにたいする Fee の支払いが、社会的に認知されているけれど、デザ
イナーやコーディネーターと呼ばれる人たちの Fee は、たとえ相手が企業であっても驚く
ほど認知度が低く、往々にして物流マージンや作業料に転化されてしまうというのが実態
で、まして個人に対するインテリアのプラニングなんて、まずニーズがないということかも
しれないけれど、そういう仕事を志向している人がいるかどうかさえアヤシイ。
住宅のことで言うと、壁紙やファブリックだけでなく、照明器具や家電製品のセレクション、
水栓やレンジといった設備機器のチョイス、インテリアグリーンのコーディネーション、こう
いったことを建築家から奪えるようなインテリアデザイナーが現れたら面白いんだけどな。
そんなことを考えたのは、ある人に本のセレクションを頼まれたからだ。
10日間ほどの休暇で南の島に行くんだけれどそのときに読む本を何冊か、というような
要望で、もちろん知り合いからのものだから、彼のライフスタイルや旅のシーンを想像し
ながら、ああでもないこうでもないと本を選ぶのは、とても難しくて、そしてとても楽しい
作業だった。
何ヶ月か前に本を売らない本屋、「本のStylist」を考えているという記事をエントリーした
ことがあったけれど、そのときにはやはり企業やショップのことだけしか頭になくて、個人
の本棚や旅にもっていく本なんていうシチュエーションを考えもしなかったんだ。
でもふとインテリア・デコレーターのことを思い出したら、個人や特定のシーンのための本
のセレクションなんていうビジネスモデルもあり得るんじゃないかと妄想してしまったわけ。
まあでもそれで Fee をもらうなんて、10年早いね。
*
■ 茶室とインテリア 内田繁 工作舎 20050920 初版
座――脱ぐ文化、座る文化
間――柔らかな仕切り
風――涼味の演出
水――浄と不浄
火――炎の記憶
飾――空間の物語
祀――祈りと季節
色――彩りの力
心――住まいの将来
こうやって見出しを並べただけでも、この本の切り口が感じとれそうです。
茶室に代表される日本の空間文化を、インテリアを軸にわかりやすく解説したもので、
本はもちろん美しく、内容もさすがにしっかりしていてソツはないのですが、きわめて
感覚的な領域のことを、「わかりやすく」解説する必要があるんだろうかと思っていたら
桑沢デザイン塾の講義録がベースとわかってちょっと納得、プロを目指す学生諸君には
これくらいでちょういいのかもしれません。
■ 鞆ノ津茶会記 井伏鱒二 福武書店 19860401 第2刷
安土桃山期の茶会をフィクション(架空)で描くとは、恐るべき想像力、そして文章力。
太宰治や開高健といった手練の作家たちが私淑した人だから、昭和文壇の巨人の一人でしょう。
コノ杯ヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミ注ガシテオクレ
花ニ嵐ノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
酒と釣りの名人、そして東宝映画「駅前シリーズ」の原作者でもあります。
■20世紀ボックス 木村勝編著 六曜社 19980630 初版
表紙のデザインを見れば一目瞭然だけれど、タイトルは真木準によるパロディ。
日本を中心とした20世紀初頭からのパッケージやラベルが、日本のパッケージデザイナー
の先駆者木村勝さんのセレクションで掲載されています。
パッケージを語ることは、広告そのものを語ることでもあります。
この本の中で、とあるデザイナーが、「卵」こそがパーフェクトなパッケージ(殻や薄皮や
カラザや白身など、すべての要素が生命の源である卵黄を守るために有機的に連動し
ているそのシステムやフォルム)だといっていたのが印象的でした。
■ ラハイナまで来た理由 片岡義男 同文書院 20000304 初版第1刷
same old story だということはわかっているけれど、ついタイトルに魅かれてしまった。
ハワイから届いた絵葉書のような28の掌編。
どれも僕が主語だし、マイナーな出版社だったので、最初エッセイ集と勘違いしていました。
35年以上慣れ親しんだこの人でしかあり得ない文体や、変わることのない乾いた視線は
絶えることのない波の音を聴いているようで、安心感が高いのです。
■ 生きているのはひまつぶし 深沢七郎 光文社 20050730 初版第1刷
「ひつまぶし」ではありません。
87年に亡くなった深沢さんの18年ぶりの単行本だとか
「楢山節考」はそうとう凄いし(今は日本中が「楢山」になってしまったみたいだけれど)、その
存在感に、ただならぬ気配をビシビシ感じるので、こうやってこの人の本を買うわけですが、
赤瀬川原平や嵐山光三郎や白石かず子といった曲者たちが私淑する深沢さんのほんとうの
凄さは、実はあまりよくわかっていません。
このエッセイ集を眺めていても、マニアックなローカル・スターではなく、もう少し大きな人類
的なスケールの人ではないかと思いますが、まだ眼をつぶって象を撫でているような感じ。
読み込めばもう少し大きいものが見えてくるような気がします。