-->

voice

コトバノイエって、どんなとこ?

 
 
 

服部 滋樹graf
  • コトバ+イエ=本

     

    言葉って読んで字のごとく「言の葉」なのですよね。

     

    ヒトとして存在しえる状態とは何か?産声を上げたその瞬間から外からの影響によって、問答が始まり。自分というヒトが創造されていくと思う。

     

    言葉がヒトの輪郭をつくるのに必要なものだとすると、葉っぱが幹を覆った時、木たる存在が堂々と立ちあがり、森をつくり、山をつくり、水をつくる。それにも似ている。

     

    そしてイエ、それはヒトの営みを表すカタチ。成長に合わせてイエは育つ。箱のように見えているが、やはりそうでは無い。中身が何か、を表している。言葉とイエの関係は本一冊の出来上がりにも似ている。一冊一冊に人格があるように顔、体つきが物語を織りなす。

     

    コトバノイエとは。

    そんな隣り合う関係性を垣間見る場所。

    そして、新たな関係をつくる場所。

    コトバノイエ、新しい出会いを常にワクワクと期待を胸に訪れたい場所。

     

    graf 服部 滋樹
    www.graf-d3.com

中川 和彦スタンダードブックストア
  • 気の利いたPOPが付いてるわけでもないのだが、店主が選び抜いた本には店主の魂が乗り移って分身のように待ち受けている。もとより何でも揃うというわけではないので、巷の書店のようにあれもないこれもない、なんてことにはならない。寧ろあんなのもある、こんなのもあるとなる。情報が溢れるほどあるから快適というわけではない。一冊一冊吟味した素材を店主が編集という調理を施して、素材の持ち味を引き出して陳列する。店主は料理に興味はないというけれど…。どうやら本だけではなく、店主が考え抜いた本棚、空間にも魂が乗り移り、極上の香辛料となっているようだ。本そのものと空間のハーモニーが優しく語りかけてくるような味を醸し出す。そして閉店すると実際に家族とともに、手料理でもてなし、顧客と共にコミュニケーションを楽しむ。しばしば『本屋』は庭にまで広がりを見せるのだ。山陰の本屋店主が『書店』と『本屋』とを明確に使い分けていると聞いた。曰く『書店』は本という商品を陳列する空間であり、『本屋』は本をツールとしてコミュニケーションを求める人そのものを指す。自宅が本屋のコトバノイエは、店主だけでなく空間も含めて『本屋』という気がしてならない。

     

    そんなコトバノイエがいよいよ第二章を迎えるという。昨年西海岸を訪れたことが大きく影響しているのかもしれない。そこには本の可能性がキラキラ輝いていたから。ようやくこの国でも本を取り巻く環境が変化し、本の可能性が息吹き始めた。反骨精神旺盛な店主のエンジンがスパークした。絶妙のタイミングでアイドリングを開始したコトバノイエには従来の整備士だけでなく、様々なタイプの整備士が関わることになる。もちろん私も関わる。新しい乗り物が必要なのだ。そして新しいライセンスが必要なのだ。本の無限の可能性を求めて。

     

    スタンダードブックストア 中川 和彦
    www.standardbookstore.jp

伊藤 泰子Kica / L’objet qui Pepie
  • ふと初めて其処を訪れた日のことを思い出す。

     

    店主は私の話をひととおり聞いた後、「これ、どうかな」と棚から取り出した一冊の本を差し出してくれた。

     

    それはまるで処方箋のようだった。

    そんな本屋は初めてだった。

     

    あれから何度この家に足を運んだだろう。

     

    裸足になって壁一面に並べられた本を眺めていると、「ただいま」と言いながら次々にオモシロそうな人がやってくる。

     

    おいしいものを皆で囲んで語って大いに笑って、そして帰り道には決まってこう思うのだ。

     

    もっともっと

    磨いていこう。

    開いていこう。

    コトバも。ココロも。

     

    たとえば、生きていくうえで不可避な迷いや不安。決して口にすることのない心の内側を敏感に察知すると、店主は、決まって後から真摯なコトバを贈ってくれた。それは書面だったり一冊の本だったりするのだけれど、暑苦しい慰めや説教や激励でなく、

     

    いつも

    さらりと

     

    最良の手段で愛に溢れたコトバをくれた。あの日、家中の本棚からいちばん効く一冊を選んでくれたように。

     

    「コトバノイエ」、なのだ。

     

    聞きそびれたままのその家の名前の由来。

    だけど今はもう改めて聞く必要もない。

     

    訪ねて行こう、あの坂を登って。

    「ただいま」と言いながらドアを開けたら思いがけない出逢いや探していたコトバが必ず其処には在るのだから。

     

    Kica / L’objet qui Pepie  伊藤 泰子
    www.kica.co.jp

木村 貴一木村工務店
  • コミュニケーションを誘発する本棚というのがあって、コトバノイエの本棚に並んでいる、本のタイトルや本の装丁が、何となくその本の内容をゆらゆらと発散させて、それを本の佇まいというのだろうが、そんな本たちが佇まう本棚に囲まれた、建具のない空間をうろちょろし、立ったりしゃがんだりしながら、おもむろに右手をそっと挙げて、手に取って、ページをめくりながら、コトバを眺めていると、コトバの向こうに存在するその空気感のようなものが、ふわーと漂ってきて、暫くすると、その本を読了したような錯覚に陥って、それで、本をもとの居場所に戻してあげて、ゴロンとその床に寝転んだり、ソファーに沈み込んだり、デッキで食事をしたりしながら、ただただ寛ぐことにする。そのうち「私」の中の私たちが、あーでもなくこーでもなくと、ブツクサと考えているコトバの群れを、建物の構造体にもなっている本棚におわします本たちが、ちょろちょろと吸い取ってくれて、なんだかとっても軽やかな気分になり、そうしたころ、おもむろに店主のカトウさんとのコミュニケーションが始まるのだった。

     

    木村工務店 木村 貴一
    www.kimuko.net

辻 マサヒロブルーナボイン
  • とにかく楽しい

    良い意味

    非常識で非日常的

     

    予約を入れ

    靴を脱ぎ

    本棚で出来た家で本を眺める

     

    住人の息づかいを感じながら

    店主のコレクションを奪っていく

    高揚感と罪悪感

     

    そんな本屋は他に無い

     

    誰もやっていない事を

    平気な顔してやっている

     

    正しいか?

    間違いか?

    売れる?

    売れない?

    この店主には愚問

     

    好きか!

    嫌いか!

    ただそれだけ

     

    ぼくが本屋tripでラッキーな一冊を見つけている間に

    ここの店主は100冊の本を見つけて本棚に入れていると思う

    そのぐらいセレクトに迷いが無い本棚でした

    これを読んで頂いた皆さん、是非ご予約を

     

    ブルーナボイン 辻 マサヒロ
    www.bnb.co.jp

半井 裕子編集者
  • ここに来るのは2回目。最初の時も今回も、信頼しているグラフィック・デザイナーYさんに連れられて。

     

    数年前、Yさんが乗っていたクルマを譲り受け、それから、彼がそうしているように、ある店にその世話をしてもらうことになったのだが、その店の方が、ある日、“古書店”を自宅で始められたのだ。

     

    人の家の本棚をじろじろと眺めて、自由に手に取ってページをめくり、しかもほしいと言えば売ってもくれるなんて。

     

    売るための商品と、読むために買ってきたものでは、同じ本であっても意味合いが変わってくる。

     

    初めてコトバノイエの本棚から数冊を買って帰り、自宅の本棚に並べようとその前に立ったとき、ああ、なんてフツーの、薄っぺらい並びなんだろうかとがっかりした。目利きのなっていない者が書店で漫然と、あるいは、アマゾンでデジタルに買うからこうなるのだ、と。

     

    そして今日また、店主の優れた感覚で選ばれた本を、凡人の私が棚から取り出す。じつは店主が「それ持って行くかぁ」と残念そうな顔をするのが、意地が悪いわたしは、少し嬉しいのだ。

     

     

    ……と、数年前にコトバノイエ初心者の私はその印象を記したことがある。それから別の場所で店主と会ったり、ふたたびみたびコトバノイエを訪れたり、コトバノイエから遠い場所にある店主が手がけた本棚に出会ったり。

     

    当初の、「人ん家の本をしげしげ眺めて買う」というコトバノイエとのつきあい方は変化していて、それは店主とコトバノイエの活動そのものの変化でもある。

     

    今思うのは(このごろはブックセレクターなんて言葉が浸透してきているけれど)、本を選んで紹介するというギフトのような魔法のようなものをその手に持って人や場所と繋がっていく店主がじつに楽しそうでうらやましいということだ。

     

    編集者 半井 裕子
    www.lmaga.jp

上野 牧子used living
  • 難しいので…ちょっと最初の頃を思い出してみる。

     

    ぜぇぜぇ、はぁはぁ。

    もう慣れたけどあの坂、運動不足の私にはキツかった。

     

    今じゃ勝手に常連席を決め込んでいるけど、正直なところ初めて行く時は緊張した。本を見る前に、イエの中を探検した。本を探すこともそこそこに、気が付けばテーブルを囲んで宴会が始まった。

     

    職業柄、本を多少は読んでいそうなイメージがあると思うけど、これがまた普段なかなか読まないし、ほとんど買わない。絵や写真なんていうものは進んで手に取るけど、小さな字だけだとあまり読まない。

     

    でも本は大好き。紙の匂いと、手に持った時の重み、たくさん並んでいる棚を見るのも好き。

     

    そういえば、コトバノイエで本を買ったことがない。

     

    だからあえてここに選ばれてしまったのか、それはさておき、そんな嫌ぁな常連客が見たコトバノイエはどんなところだろう。

     

    別にそこで特別な何かが起こっている訳でもない。

    何か派手なことを企んでいる訳でもない。

     

    人が集まる一つの理由が、本だった。でもそこは、本だけが編集されている訳じゃないんですよね。

     

    だって、「ただいまぁ」なんて感じで閉店後に来る常連さんだっていたりする。

     

     

    そんなこんなで、本をあまり読まない私に、コトバノイエってどんなとこ?なんて聞かれると、すごく困る。

     

    そもそもそこに行きたくなったのは本だけが理由じゃなかった。引き寄せる何かがあったのか、でもちっとも格好つけてない。

     

     

    だから難しい。お行儀良いけどクレイジー、そしてヒッピーなあの感じ。

     

    今日のところは、「ソコに帰りたくなるような古本屋」にさせてもらおうかな。

     

    used living 上野 牧子
    www.used-living.com

矢部 達也建築家
  • プロセスの流儀

     

    リザルト(結果)よりもプロセス(過程)が大事だとされるものごとがあります。建築家にとっての建築がそうであったり、読者にとっての読書がそうであったり。ところで、books+コトバノイエのいまに至るプロセスは、おおげさにいえばちょっと数奇です。

     

     

    たまたまクルマを売った(加藤さんはクルマ屋さんでもある)相手が本好きの建築家で、気が合った。

    ちょうど子供たちも大きくなり蔵書も増える一方なので、引っ越しを迫られていた。

    家を建てるなんて考えたこともなかったし、借家住まいも気楽だったが、やってみた。

    できあがった家は本棚でできていて、家中に本をたくさん置けた。

    でも毎週買い続けるのでスペースはなくなっていった。

    本を売り始めた。

    通信販売ではものたりず、ときどき家を店舗として開放しはじめた。

    いろんなひとがやってきた。

    いろんなできごとがはじまった。

     

     

    マスタープランのもと、明確なビジョンをもち、次段階への目標を掲げ、策を練り、リスクを測り、ときに英断し、達成する、というのではぜんぜんなくて、とくに目標はなく、ただおもしろそうな方向へ視線をやるだけ、あとはときどきに出会ったひとたちのちからも借りて、上手に流れに乗って漂うように進む。

     

    こんなプロセスの流儀が、コトバノイエという空間・環境の心地よさの素(モト)なんだろうなあ、とこの家の設計者はおもうのであります。

     

    建築家 矢部 達也
    www.somosomono.com

画面を閉じる